4、私達は、信仰をもって応えればよいのです。

(1)人間に求められているのは、ただ信仰だけです。

 神様が用意して下さったイエス・キリストの十字架と復活による救いを私達自身のものとするために、聖書が私達に求めていることは、ただ信仰---イエス・キリストは私の救い主です、と信じること---だけです。

 私達は、神様の救いの御恵みへの応答として、信仰によってキリストを受け入れればよいのです。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、 自分自身から出たことでなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ人への手紙2:8〜9)

 キリストを信仰によって受け入れるとはどういうことでしょうか。・・・今までの自己中心の生き方(つまり神様ではない方を向いて生きてきた人生)から神様の方に方向転換し(これを「悔改め」と言います。悔い改めとは、方向転換のことです。だから「回心」とも言います。)、神様と共に、神様の導いて下さる本当の人生を歩もうと決めることです。

 イエス・キリストが救い主であると頭で認めるだけでは充分ではありません。聖書は、信仰の応答を求めているのです。

(2)信仰によって救われる根拠は、聖書の啓示(神様の約束、保証)にあります。

 信じれば救われる、となぜわかるでしょうか。周囲のクリスチャンを見てでしょうか。自分が新しい人に変わったという実感でしょうか。確かに神様が共におられるのだと示すような体験でしょうか。「救われている」という感情でしょうか。・・・その一つ一つも、人生において大切なことですが、私達の救いの根本的な保証ではありません。なぜなら、人間的なものは、全て時と状況と共に変化していく頼りにならないものだからです。

 そうではなく、私達の信仰が裏切られない保証は、神様とその御言葉である聖書にあります。「神様が聖書の中でそう約束しておられる」ということが、永遠に変わらない、どんな時にも揺らぐことのない、私達の保証です。

(3)信仰によって私達に神様と共に生きる人生が実現します。

 それは、聖書によれば、次のような神様の御恵みが伴う人生です。

1、過去・現在・未来の、全ての罪が赦されました。

2、永遠の命が与えられました。それは、死をもって終わることがありません。

3、神様の子供とされ、愛の神様を「天のお父様」と呼ぶ関係になりました。

4、イエス・キリストの御霊(聖霊)が、あなたの中に常に住んでいて下さっています。

5、神の民、神の家族、神の教会の一員とされました。これは時間と空間を超えて一つであり、あなたはその天の御国の民として、永遠に神様と共に生きる世界に入れられたのです。

6、地上の人生においては、常に神様が共にいて下さいます。そして、私達の思いをはるかに越えた、最善・最高の人生を与えて下さるのです。私達は、この神様に全てのことを祈り、全ての必要を頂くことができるのです。

7、あなたは「世の光・地の塩」として、この暗闇の世界の中で神様の真理を掲げ、人々にイエス・キリストの救いを伝え、全世界が少しずつ神様の御心に従ってあらゆる束縛から解放されて、正義と平和と愛が支配する所となって行くように、尊い使命を担って生きる者とされたのです。


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