序説
[1]本講義が扱う範囲
本講義は宗教改革とそれ以後現代に至るまでのプロテスタント教会の教理の歴史を取り扱う。 教理史として取り上げられたことがない部分である。講義は受講者が宗教改革までの教理史を 学んだことを前提としてなされる。特に古代教会の教理形成についての十分な理解と本質的部分 についての知識は、宗教改革の教理の理解にとって不可欠である。
宗教改革以前と以後を分けるのは技術的な分業であるが、教会の教理の歴史の流れは本質的に は一貫している。それゆえ、宗教改革以後の教理史の知識を獲得するのでなく、教会の初め以来 の教理史を一貫したものとして把握しなければならない。教会は使徒の上に建つという認識が教 理史研究の前提になっているからである。
分業であるならば、古代・中世の教理史と同時に、あるいは順序を逆にして学習を進めること も考えられなくはない。知識の総量としては同じかも知れない。しかし、恐らく理解の深さにお いては大きく違うであろう。歴史的理解においては時間の経過の把握が本質的なものだからであ る。我々は古代における教理の形成を理解した上で、宗教改革の教理形成を把握するようにした い。三一論、キリスト論、原罪論の三つは重要である。
[2]教理史研究の目的は何か
1.教理史学習の課題の第一は、教理の各条項と教理体系の形成過程を歴史的に考察して、そ の体系と条項の持つ意義を明らかにするにある。
教理条項というものは、一旦確定した以上は、確定以前に逆戻りすることの出来ぬ教会的決断 に属する。教理の確定とはそういうものであるとの理解がなければ、教理史でなく神学の学説史 である。ところが、現実には確定した教理条項が、あたかも確定していないかのように看做さ れ、あるいは無視され、私的文書として扱われることがある。そういう事態が起こるのは、教理 を確定した時の教会の姿勢が崩れ、確定した教理、および教理条項を確定しなければならなかっ た事情に無頓着になるからである。
2.したがって、課題の第二に、教理条項が確定以後如何に取り扱われ、解釈されて来たか、 その解釈の立場は何であったかを明らかにする研究が必要になる。宗教改革において成立した教 理条項が以後の歴史の中で解釈されて来たことと、宗教改革において古代教会の教理条項が継承 されている点を見落とすことは出来ない。
3.第三に、教理史研究は教理の形成と継承の歴史的過程を明らかにするに留まらず、むしろ 教理そのものの本質に溯り、教会に教理が託せられていることの意味を把握し、こうして教理そ のものの把握を通して教会のアイデンティティーを明確にするのである。この把握をなおざりに するとき、教理史は課題を見失う。
[3]教理に関する基本的認識
1.教理とは何か
教理(doctrina) とは教えである。教える責任を負うのは委託を受けた教会であり、教会はこ の務めを担う奉仕者(minister)を立てて教えを行なわせるのであるが、教えの主体は神であ り、教えの内容は神から来る。神は御言葉をもって教えたもう。その言葉は聖書の中に収められ ている。
では聖書の言葉がそのまま教理になるのか。我々はそのようには理解しない。聖書は確かに神 からの教えであり、完全な教えを含むが、章句はおびただしく、章句相互の間で一見矛盾する場 合も稀ではない。したがって、これらを調整し、教会の存立にとって過不足のない幾つかの条項 に絞る。これが教理条項である。教えの大要(summa doctrinae)と呼んでも良い。教理条項は聖 書内容によって決定し、神学作業によって明らかになって来ると言えるが、それを確認するのは 教会の正規の機関による公的決断である。(その手続きについては教会法と共通する。内容的に も教会法に類似した性格と、はっきり区別された正確がある)したがって、ある条項( articulus)について一つの教会はこれを教理条項、すなわち教会によって教えらるべき項目とす るが、他の教会では教理条項としては扱わないという違い、また条項の立て方そのものの違いが 生じることがあり得る。
2.教理の成立
信仰は教えによって成立するのであって、自然発生でもなく、何かに触発される内発のもので もない。「信仰は聞くにより、聞くはキリストの言葉による」(ローマ10:17)とある通りであ る。ローマ書のこの文脈では、聞くことは遣わされて宣べ伝えること(ケーリュグマ)に関連す る。しかし、聞くは言い伝えること(パラドーシス)にも対応する。福音は派遣によって地の果 てまで弘められ、また先の世代から後の世代へと伝承される。
使徒時代に派遣によって伝えられる時にも信仰の一致のために教えの基準が必要とされたが、 そこで既に伝承の規範性が考えられている(Tコリント15:1,2参照)。派遣と伝承は結び付くの である。旧約時代においても信仰はイスラエルのなかに伝承された。新約時代には、地の果てま で遣わされて宣べ伝えるという平面の広がりが始まったが、これは一つの時代から次の時代へと 伝えられる伝承と別個のものではない。信仰が広く行き渡った後には、新しい世代は伝承された ものを受け継ぐという形で信仰を獲得する。
信仰の伝承は言語の伝承と類似している。言語は伝承によってのみ獲得される。基本的には親 から子へ言語教育が施される。言語を習得する者は一方的に教える者に追随するのであって、教 えられる者の内発性は言語の内容に関しては保障されているけれども、言語の形式に関しては認 められない。文法に反する表現は内容を伝え得ない。信仰も一方的な伝達によって成立するもの であって、伝統を無視する信仰の内発性というようなことは言えないとするのがキリスト教の立 場である。
信仰の伝承が一方向的であることは、啓示の一方向性に対応するのみでなく、適合すると理解 される。啓示と等価のものを受ける側で立て、協力を考えることは出来ない。それが出来るかの ように見る見方があるが、この考えによれば、@神の超越性が分からなくなる。したがって、A 信仰と観念との違いが消滅する。B歴史への責任の意識が消え、信仰が空間化する。C結果的に 教会形成が成り立たなくなる。啓示に対して人間の側の呼応関係を強調する所ではこれらの現象 が見られる。ただし、宗教改革以来教理条項の単なる承認と信仰との区別がなされ、信仰とは何 かが条項の一つに加えられている。
言語伝達との類似性について言えば、言語伝達は必ずしも言語を法則化し、文法化して伝達す ることではない。言語の文法化はラテン語に関しては古くからのものであるが、文法を知らなく ても言語は使用出来た。しかし文法によって習得した方が良い場合もある。信仰の教理条項は言 語における文法に擬することが出来るのではないか。教理条項の伝達という形式がなければ絶対 に信仰が成り立たないという訳ではない。けれども、教理条項を立てて教育するのはより有効な 教育である。
なお、信仰の教育を信仰の教理化によって遂行しようという動機は、宗教改革固有のものでは ないが、この動機が宗教改革者において強かったことは認められる。そのことと、彼らのうちに 言語の文法化に熱心であった者がいることは(例えば、ド・ベーズ)単なる偶然の一致ではない ように思われる。
3.成立後の教理条項の扱いについて
教理条項の制定をもって教理史の記述を終わるという立場がある。しかし、この扱いは正しく ないと思う。成立した時以降、教理条項は過去の歴史的遺産になるのでなく、現在のものとして 生き続けるからである。成立以後の教理条項の用い方についての関心が低いのは、教会にとって の教理の実際の意味が良く捉えられていないからであろう。
ただ、成立以後の教理条項の扱いを時代を追って考察することは、厖大な資料を用いなければ ならないため、非常に困難である。したがって、少数の代表例によって時代的風潮を概括するほ かない。その代表例の選び方に困難があって、間違いを犯し易い。しかし、教理の歴史という以 上はその教理がどう説かれて来たかを扱わない訳には行かない。
考察すべき点として、@教理条項が形式的には掲げられながら、実際には教会で説かれず、あ るいは有効に説かれていないために、空文化したり、それに近い状態になっている場合がある。 A一つの教理条項がどういうコンテクストの中で取り扱われているかは、時代とともに変遷して いる。
4.教理と教義
教理史はドイツ語で Dogmengeschichte であり、これは字義通りに言えば「教義史」と訳すほ うが良いかも知れない。この分野の学問を開拓したドイツ人がこの用語を定着させたのである が、「教理史」の名称が正確だと思う。英語では History of Doctrine というのが普通である が、この方が適切である。何故なら、教理史は「ドグマ」だけを扱うのでないからである。
「ドグマ」は新約聖書の用語であるが、決定、規定、規範の意味で用いられる。エペソ2:15、 コロサイ2:15、ルカ2:1 。教えの基準の意味になるのは後の時代である。神が御言葉をもって教 えたもうという点よりも、信仰内容の真理性を強調する時、規範概念としてドグマが導入される ようになった。教理と教義を区別して、後者を誤りなき基準という意味で用いるのが通例である が、プロテスタントでは教義という概念を強調しない。
ただし、最初期の教会また宗教改革時の教会においても、基準の確認を必要としていた事実を 忘れてはならない。
5.教理史と神学史、キリスト教思想史、精神史との違い
既に述べた所から、教理史と神学史やキリスト教思想史の違いは明らかである。我々は神学史 やキリスト教思想史の存立を否定するものではない。それらの領域にも尊敬すべき業績はある し、我々と同じ立場からそれらの学問領域で成果を挙げる人はいる。学問的扱いが違うのであ る。また、これらの領域は教理史の領域と隣接しており、境界線がはっきりしない場合も十分あ る。しかし、本来の意味では教理史と認められない分野を教理史と呼ぶ慣例が一般に盛んである ことには注意し、概念の混同を避けたい。
[4]宗教改革以後の教理史の時代区分
教理史においては年代は厳密でなくて良い場合が多い。前後の連続関係だけは重要である。段 階の順序は確認される。時代区分は年代によって付けられる。それは、或る年代が時代を区切る ということを意味しない。その年に起こった出来事がエポックを画するということも、通俗的歴 史では言われるとしても、厳密な教理史においては殆ど意味をなさない。すなわち、信仰に関わ る理解は、瞬時に分かる場合もあるが、長い時間をかけなければ分からない場合も多いので、一 つの年代で画然と時代を区切ることは無理である。時代区分はそれぞれの時代がうちに持つ固有 の特色、あるいは時代精神によって付けられる、とともに考察者がその時代に対して抱くイメー ジの投影である。視点を変えることにによってイメージも変わり、区分も変わる。
大まかに宗教改革以後の時代を教理史的に性格付れば、次のようになるであろう。(宗教改革 以前の時代は別に扱う)
時代区分の年代はルター派と改革派で状況が異なる場合があるため同一に扱えない。
1.宗教改革初期:教理形成以前の運動体。改革的な強い主張はあるが、それは教理条項とい う形を取らない。この段階では宗教改革は一つのムーヴメントに過ぎず、エネルギーをうちに秘 めているが教会形成は行なわれていない。
2.宗教改革時代:教理条項が形成される。
この段階でムーヴメントは止んで、教理形成と教会形成がなされる。
ここではルター派と改革派の教理形成の違いが考察されねばならない。すなわち、ルター派で は第2期に教会形成を始めるが、改革派では最初から教理条項を掲げて教会形成に取り掛かる。
3.正統主義の時代:宗教改革的教理のより厳格な規定、論理的整合性の調整、およびその遵 守。ここでプロテスタント教会の教理条項の形成は殆ど終了。後は教理の解釈の時代。この点で もルター派と改革派の違いがある。改革派では正統主義の時代に入るのが遅いし、正統主義の性 格も違う。
4.敬虔主義の勃興の時代:教理的には正統主義だが、敬虔の重視によって教理主義の客観主 義を補う面があるとともに、それを弱める作用が進む。
5.合理主義の時代:合理主義によるキリスト教解釈、合理化出来ないものの排除。しかし、 敬虔主義やロマンティシズムは合理主義によって克服されなかった。
6.覚醒の時代:合理主義への反動、伝道の拡大、伝統的教理の再評価。
まだ評価が定まっていない時代である。覚醒の主張の内容も敬虔主義の流れを汲む要素と、教 理主義の復興の要素とが混在している。教理史学習の素材となるものは少ないが無視出来ない時 代である。
7.危機の時代:評価の定まらない点ではさらに甚だしい。キリスト教への根本的な問い掛 け、答えの模索、原理主義、エキュメニズム、熱狂主義。解放の神学、フェミニズム神学、地球 環境の問題、ヨーロッパ中心の教会史観の崩壊現代を危機の時代として捉えておく。
この段階において新しい教理条項ないしドグマを立てようとする試みもある。例えば、千年王 国を教理として主張する。ただし、この傾向の教派は教理についての厳密な考えを好まないた め、それらの新しい教理は条項として確定しない。
* なお、本 講義においては扱わないが、近世カトリックもプロテスタンティズムと並行してその教理史を持 ち、新しい教理条項を加えて来た。次のような時代区分をつけられる。
1.プロテスタント宗教改革との対決の時代(トリエント会議) 反宗教改革的教理が確定さ れ、中世カトリシズムが持っていた宗教改革容認の要素が排除される。
2.ローマ教皇権強化の時代(トリエント会議以後、第一ヴァティカン会議を頂点として)。
3.刷新の時代(第二ヴァティカン会議以後)。プロテスタントとの対決の姿勢を改める。し かし、カトリックの論理によれば、以前の正式の決定を誤りであると認めることは出来ない。し たがって、プロテスタントとの対決条項は何一つ撤回されていない。
プロテスタントとカトリックは没交渉であったのでなく、相互に影響し合っており、その関係 は無視すべきではない。ただ、その関係を系統的に述べることは本講義の課題ではない。
* 同じく、本講義では扱わないが、東方正教会は我々の把握するような教理史を持たない。 東方正教会では古代において教理条項は確定したと見るので、その後の教理史的発展を考慮する ことはない。但し、神学史はある。それは一般に興味を持たれていないが、無視して良いもので はない。
[5]教理史学習の方法
1.教理条項の内容の解明は教義学の課題である。教理史は教義学的内容を歴史的側面から見 る。教義学と教理史の分野は重なっていて、分割しにくい。また、分離させてはならない。
* 教理史は教会史の一部、あるいは一側面であると見られることがある。これは正しくな い。教会史は4世紀のカエサリアのエウセビオスに始まる古い学問であるが、教理史は近代の学 問である。(したがって、近代的な発生論的、ないし進化論的思想の作用を受け易い) では、 教理史が成り立つまでには、その内容は神学のどの分野で扱われていたのか。それは教義学にお いてである(ただし教義学という名は近代のものである)。教義学は教理条項の各項ごとに歴史 的記述も行なって来た。歴史意識が違うだけである。したがって、教理史は教義学から分化した と言える。分化したが、以前の結合は双方に残っていて、教理史はいつも教義学に帰り、教義学 も教理史を終始参照する。
教義学と教理史が分化したのは何故か。それは学問的方法の違いである。教義学は信仰の源泉 である啓示に基いて事柄を明らかにする。教理史は歴史的方法によって事柄を解明する。それ 故、歴史的事実の枠内での実証的な議論になる。実証の資料となるものはすべて文書である。
2.教理条項の考察に際して、研究者自身の告白的・教会的立場が問題になる。すなわち、如 何なる信仰的立場に立って教理史の学びをしているかが問われる。もとより、神学研究は学問的 客観性を重視するとともに、エキュメニカルな視点に立つのであるから、教理史を教派的・護教 的なものとしない注意が必要である。しかし、客観的に歴史的文書の意味を明らかにして行くと はいえ、学問をなす必然性が問題となる時、研究者のアイデンティティーが問われ、この学問は 研究者の告白および託されている課題に関わる。無前提の考察は少なくとも教会の学としての神 学諸学科にはあり得ない。神学としてでなく、単なる歴史的研究としての叙述ならば可能である と言われるかも知れない。それは我々には関係のない学びである。この講義は改革主義の護教論 ではないが、その立場を取る。
さらに、無前提の歴史叙述が学問的に可能かどうかも厳しく問い直されなければならない。無 前提と言っている研究が実際は時代思想を安易に読み込んでいるのである。現代はそういうこと に気付き始めた時代である。
3.何を読むか
資料は全部文書であると言ったが、最初の第一次資料を利用出来ない場合が殆どであ る。殆 どの資料は編集者や翻訳者の手を経て、選択・加工されたものとしてしか入手出来ない。読む人 は提供されているテキストを唯一絶対のものとしない保留つきで読む。関係ある文書は3つに分 類される。
(1)教理条項の成立は信仰告白文書によって見れば良い。
(2)信仰告白文書に結晶するまでの過程を明らかにすることも大切で、そこでは個人の著作、会 議等の記録が資料となる。したがって、学習のために読むべき第一級の文献は信仰告白文書とそ の前段階の文書である。
(3)「教理史」と銘打った書物を読むことは必ずしも必要ではない。それらは往々にして神学史 である。資料を読み、自分で纏めることが出来れば、それらに頼らなくても良いのである。
では、どんな物を読めば良いか。
a.信仰告白文書(信条集)
編集された物を読む時、注意しなければならないのは、選択に漏れた資料の存在が目に入らず に終わる危険である。編集者の見解に基いて選択がなされるのは当然であるが、その見解が正し くない場合がある。複数の選択を参照するのが良い。
「信条集」上・下 NCC 文書委員会編、キリスト教古典叢書、新教出版社 1955、1957
これは翻訳が悪く役に立たない部分が多い。信仰告白のような文書は読み慣れた人が訳さない と誤訳する。日本では外国語が出来ても信仰告白を扱い慣れていない人が翻訳を委嘱されて、訳 語を間違える場合が多い。
「一致信条集」日本福音ルーテル教会編、聖文舎 1982 日本ルーテル教会の、したがって世界のルーテル教会の信仰告白文を収める Bekenntnisschriften der evangelisch-lutherischen Kirche.1930.Goettingen の訳、訳としては良 く出来ている。訳文の文体の問題はそれと別個にある。
* ルター派の信条集に匹敵する訳書は改革派によっては生み出されていない。個々の信仰告 白、信仰問答の邦訳があることは周知の通りである。邦訳は著名なものに限られ、研究資料とし ては不十分である。
「宗教改革著作集著作集」第一四巻信仰告白・信仰問答 教文館 1994 資料を網羅しているわけではないが日本で紹介されていなかったものも含み有用であ る。
後は外国語のものになる。次のものは我々の研究にとって欠かすことが出来ない。しかし、こ れでも十分でない。
E.F.K.Mueller(hrsgg) : Bekenntnisschriften der reformierten Kirche
W.Niesel(hrsgg): Bekenntnisschriften und Kirchenordonungen der nach Gottes Wort reformierten Kirche
A.C.Cochrane ed.: Reformed Confessions of the 16th Century.
b.個人的著作
ここに挙げ切れない。主要作品を集めた叢書として、日本では
「宗教改革著作集」教文館、刊行中 がある
近代に関しては
「現代キリスト教思想叢書」(白水社) がある
カルヴァン「キリスト教綱要」(新教出版社)を精読することは非常に益になる。
英文では
Library of Christian Classics. London/Philadelphia があるが、宗教改革後期までを収録し 切れていない。分量が膨大なものになり、かつクラシックとしての評価がまだ定まらず、個人の 著作の全集すらない場合が多いからである。この叢書の続編を考えた人もいるが、成功していな い。
ドイツ語では
Klassiker des Protestantismus. Herausgg. v. C.M.Schroeder. in 8 Bden.(SammlungDieterich Bd.266-273) がある。文庫版のアンソロジーであり、専門書とは言えない が、便利である。
歴史の把握はその連続性の把握でなければならない。点と点を結ぶことは極力避けた い。そ こで、膨大な資料を読まなければならないことになるが、散漫にならないために、一つの流れを 追って行くようにする。
c.教理史の書物
プロテスタント教理史に関しては良い物は少ない。古代教理史については優れた書物がある が、古代の教理概念は宗教改革とともに終わったとの理解をする人もあり(ハルナック)、その 立場では宗教改革の教理史すら書き切れない。まして宗教改革以後は扱い切れていない。
R.Seeberg:Lehrbuch der Dogmengeschichte.Bd.4,Teil 1 und 2.
O.Ritchl:Dogmengeschichte des Protestantismus.in 4 Bdn.
C.Andresen(hrsg):Handbuch der Dogmen- und Theologiegeschichte. Bd.2,3.
J.Pelikan:The Christian Tradition. Vol.4,5
A.Adam:Lehrbuch der Dogmengeschichte. Bd.2.
H.Cunliffe-Jones (ed.): A History of Christian Doctrine.1978,T.& T.Clark.(in succession to the earlier wok of G.P.Fisher)
日本語ではハイックの教理史(英語)の翻訳「キリスト教思想史」(聖文舎)がある。名称は 思想史であるが、内容はドイツ神学による教理史と同じである。この書の第2巻は宗教改革以後 を扱うが、邦訳されていない。それはもはや教理史ではないし、水準も高くない。最近翻訳・出 版されたものに、ベルコフ「教理史」(教文館)、ゼ−ベルク「教理史」(教文館)があるが宗 教改革以後については殆ど触れていない。
d.神学史、キリスト教思想史関係
O.Weber:Grundlagen der Dogmatik. Bd.1, 2.Abschnitt.
H.Heppe:Die Dogmatik der evangelisch-reformierten Kirche. (多くの引用から成っている書 物、E.Bizer による新版には引用書物の解題がついている)
B.Haegglund:History of Theology.(原語はスエーデン語、簡単ではあるが神学的にはしっか りしている)
部分的なものについてはそのつど触れる。
[6]教理史研究の立場
1.教理史は歴史的な学問であって、客観的考察を要請されるのであるが、教会と教会に託さ れた教理とに責任を負い、教理を受容しかつ伝達して行く立場からの研究であるから、全く没主 観的、価値自由ということはあり得ない。歴史的な学問ではあるが、歴史学ではない。
この主張は単に教会と教会の教理への忠誠を要求する倫理的あるいは心情的なものではなく、 学問性をもった主張である。すなわち、歴史の連続性に鑑み、歴史の今に立つ立場から問うて行 くのである。Xの2参照。
2.この立場は換言すれば教会の伝統に立つことを自覚した立場である。我々の場合について 言えば、改革派的伝統を意識的に把握した立場である。改革派的伝統を離れるならば我々の学び は神学として意味をなさなくなる。ただし、自己の教派の立場を無批判に肯定し、擁護し、他派 を批判する護教的機能は、教理史の目的ではない。むしろ、教理史の学びを通じて自己の教派を 客観的に見、自らの欠けを自覚する必要がある。ただし、その欠けの克服を提唱することは、必 ずしも学問の課題ではなく、むしろ教会政治の領域の事柄である。
3.自己相対化にともなって、他派とのエキュメニカルな対話が必要である。先人たちも対話 を重ねて来たが、20世紀に至って漸くエキュメニカルな視点と方法が定まるようになった。学 問の客観性からも広い視野に亙る認識と理解が要請される。ただし、エキュメニカルな対話を実 際に遂行して、実りを収めるためには自分が自分であることの把握、すなわち自己のアイデン ティティーの確立が必要である。そのためには自分と相手の教会的伝統についての相当量の、か つバランスのとれた知識を必要とする。
4.では、エキュメニカルな対話が成立した今日、伝統に立つ教理史研究は終焉し、エキュメ ニカルな教理史になって行かなければならないか。ある面ではそう言えるが、必ずしもそうでは ない。エキュメニカルな立場というものは、教会の過去を振り返る所からは出て来ない。過去に も教会が一つになるための多くの努力が払われた跡を認めなければならないが、過去に多く見ら れるものは、むしろ分裂のデータである。我々は過去を否定出来ないのであるから、分裂を単に 否定的にのみ評価することは間違いである。とにかく、過去のデータは教会の一致を理論的に基 礎付ける材料としてはネガティヴすぎる。将来を向いてこそ、来たるべきキリストにおいて一つ であることの確認が出来る。
[7]教理史を学ぶに際しての注意
1.人間の認識は過ちを犯す。定説とされているものの中にも時代の経過のうちに歴然たる誤 りを指摘されることがしばしばある。そのような過ちを避けるとともに、誤ったままの認識と解 釈を是正して行くために、学問の方法としては事実に即する遣り方を取る。すなわち、出来るだ け原資料にさかのぼり、その資料を正確に読むのである。したがっ て、読解力が要求される。 語学力ではなく、読解力である。一般化して言えば、言語を用いる能力である。そして、なるべ く原資料に即して説を述べるという方法を取る。定説と言われるものでも、是正の必要がある場 合が多いのであるから、まして俗説には間違いが当然あると考えて良い。資料に当たって確かめ る作業は常に必要である。いわゆる定説の間違いは資料の読み違いであるが、俗説の誤りは資料 を読まぬところから来る。
認識の過ちを避けるためには、自己、および自己を取り巻く時代の認識が誤っているかも知れ ぬとの自覚を常に持つ必要がある。しかし、相対主義に陥って確信を失うことがあっては教理史 の生命的なものがなくなる。
なお、今日は歴史の転換期であるとともに、歴史意識の転換期である。在来の歴史研究の前提 となっていた歴史意識を批判的に読まなければならない。
2.歴史についての幅広い関心がなければならない。教理史は一種の歴史であるから、そこで 取り上げられる事項は全て歴史的である。そして、歴史的なものは全てその周辺のものとの関連 の中で成立している。それらの関連事項の中においてしか、歴史的事項はないのであるから、そ れらを包含した認識を持たねばならない。周辺的な関連事項を多く知るのは教会史による修得で ある。
3.教理の根源である聖書の教えについての正確な理解が必要である。そのためには聖書釈義 の学びを深めなければならない。聖書釈義は今日の流儀で行なうだけでなく、過去の時代の釈義 方法を考察しつつ行なわなければならない。
4.教理史の学びは主として書物によってなされる。書物は目的ではないが手段として不可欠 である。書かれた物を読解する理解力が必要とされる。それとともに、書物を大切にすることは 教理史の学ぶ者の心得の要点の一つである。書物の一部を文脈と切り離して取り入れる際には、 十分注意しなければならない。文脈抜きの認識は危険である。
5.文書の限界という重要な問題があるが今は触れない。