矢内原忠雄の墓

■やないはらただお 矢内原忠雄

1893―1961年.経済学者,*無教会主義伝道者.第一高等学校,東京帝国大学で学び,経済学を修める.植民政策を専攻.日本の軍国主義を厳しく批判したため,東京大学教授を辞職(1937年).以後,個人誌「嘉信」を発行して伝道するかたわら,「土曜学校講義」を継続.聖書講義やキリスト教古典の講義を通じて,時代の動向を批判した.そのため「嘉信」はたびたび発禁処分を受けた.戦後は東大総長として,民主主義と平和の教育に貢献.人格的には*新渡戸稲造から,信仰的には*内村鑑三から影響を受け,深い確信と鋭い良心に立った,無教会キリスト教第2世代の指導者として,幅広い感化を及ぼした.『矢内原忠雄全集』全29巻(岩波書店,1963―65)ほか.→日本の教会史,日本の宣教史.(小野静雄)
(いのちのことば社の「新キリスト教辞典」より引用)


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