『再会の日を期して』(K姉の葬儀における説教より)

牧師 広瀬 薫

第一テサロニケ4章13〜14節、ピリピ人への手紙1章21〜24節

第一テサロニケ4章13〜14節。 「 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。」

ピリピ人への手紙1章21〜24節 「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。」

 私達の愛する、大切な、K姉は、1月23日木曜日、12時53分、天に召されて行かれました。

 45才の人生。昨年洗礼を受けられてから一ヶ月余り、駆け抜けるように天に行ってしまわれました。

 東京に帰って来られたのが4月(北海道で手術を受けられたのが2月、ご病気の再発は9月)、御夫妻とお母上が洗礼を受けられたのがクリスマス。その受洗の面接の頃には、教会の礼拝にも出ておられましたのに、12月に入って間もなく、外出が出来なくなり、年が明ける頃には食事が流動食でなければ採れなくなるということになりました。それは、私達をうろたえさせる早いペースでした。

 しかし、K姉は、周囲の方々全てに心を配りながら、そして、ご自身の人生を振り返り、整理しながら、最後まで本心を保ち、眠るように安らかに(と主治医から伺いました)、地上の旅路を終えられました。

 昨日の前夜式で、K姉には、死を目前にして、人生で大切なことは一体何なのか見えていた、ということをお話致しました。ご自分の事、ご家族のこと、神様のこと、一つ一つ何が大切なのか、姉妹には見えていて、それをきちんと締めくくって行かれたと思います。

 その、K姉が最期に人生の締めくくりとして果たされたことの一つが、神様への信仰を定め、自ら洗礼を受ける、ということでした。

 そして、そればかりでなく、更にご家族と共に洗礼を受けるということでした。ご主人とお母様と、それぞれにクリスチャンの家系として、かねて信仰の種は蒔かれていたのでありますが、三人揃って洗礼の恵みにあずかる日へとご家族がたどり着く、その道案内をされたのです。姉妹がご家族の導き手、先導者となられたのだと思います。

 この信仰の歩みと、そして、病と闘う歩みが、正に並行するという、関係者にとって、神経をすり減らすような毎日が続いたのでありますが、しかし、その信仰の歩みにおいて、K姉が道案内のように先だって歩んで下さったおかげで、私達はどれ程、慰められ、勇気づけられたかわかりません。そういう素晴らしい方でした。

 昨日もご紹介致しましたけれども、K姉が、洗礼を受けられた時に書かれた文章がありますので、今日も読ませて頂きます。  故人の声と思ってお聞き下さい。

 証し                   K

   私は結婚するまで、キリスト教とは全く無縁の環境の中にいました。以前職場の上司がクリスチャンだったことがあります。その時、ある人の葬儀がありました。するとその上司は参列せず、私達同僚は「あの人はクリスチャンだから人が死んでもそれを悲しくないそうよ」と話し、クリスチャンというのはやさしい人格者というイメージがあるけど、案外冷たくて独特の考えを持っているのだなと思ったものでした。

 私は区立保育園の保母として働いておりましたので、区の職員として組合活動もなんとなく乗せられてやっておりどちらかと言えば唯物的な考えを持っていたと思います。

 結婚して、たまに教会へ誘われることもありましたが、自分から行きたいと思うことはなく、むしろうとましく思っていた程でした。そんな私ですから説教を聴いても心の中に入っていくこともなく、聖書を読んでも遠い昔のおとぎ話の様ですぐに眠くなってしまう、そんな状態でした。

 夫の仕事の関係で北海道の北見に四年間おりまして、そこでは割りとひんぱんに教会へ通いました。行けばいつも歓迎して下さるし、信者が少なくて多くても私達家族と他二名程度でしたので家庭的な雰囲気にひかれ、牧師先生ご夫婦にひかれ通っていました。しかしそれも夏の間はレジャーに忙しく殆ど行かず、寒くなって遊びに行くところもなくなると教会へ行きだすというなんともいいかげんな信仰でありました。そこでも私自身は求めておりませんでしたので、相変わらず得るものはなかったように思います。

 そんな私がキリスト教を自ら求めようという気持ちになったのは思いもよらぬ病が私を襲ったからです。正に苦しいときの神だのみです。今まで健康だけが取り柄の私でした。なぜ私なのですか、信仰を持てる環境にありながら神様に背を向けてきた罰ですか、必死で神様に問いました。神様は何も私に答えて下さいません。私は神様に見捨てられたと思いました。私はふと自分がどの様に生きてきたのか立ち止まって過去を振り返りました。するとなんと醜い心根だった自分の姿ばかりが浮かんでくるのです。うじゃうじゃ、うじゃうじゃとです。あの時…、あの時…、あの時…、と次から次にです。

 ああ、私はなんて自分本位の真っ黒い人間なんだろうと自分の真の姿が見えてきたのです。そしてこんな真黒な私を真白に清めてくださる為にイエス様が十字架にかかって死んでくださったということが自分のこととしてはっきりわかる様になってきました。そして心から「イエス様ありがとうございます」と言うことができたのです。神様が導いてくださったのでしょうか、自分でも不思議な程素直な気持ちでした。

 それから私が神様を求めようとしたのを機に神様はつたない私の祈りの中で答を示して下さいました。もしかしたら、神様は私を愛してやまない為に、私を救いたくてたまらない為に、わたしのところへ来たくてたまらない為に、私にこの試練をお与えになったのではないかと思える様になったのです。これが神様の答えなのではないかと…。

 私の重荷は少しずつではありますが、イエス様に背負ってもらうことにより軽くなっていくのを感じます。弱い私はこれから先、自ら闇の中に落ち込むことがあるかもしれませんが、そんな時イエス様が必ず手を引いて私を明るい光の中へ導いて下さる事を信じています。今はただただ神様に深い信仰への導きを祈っています。

 このように、K姉が、ご自分の人生をきちんと整理なさり、そして、そこに人間ならば誰一人避けることが出来ない醜い部分のあることを正直に認め、そして、それを一切合切全て身代わりに負って十字架にかかって下さった救い主イエス・キリストの愛を知り、その神様の愛を受け取って、「イエス様ありがとうございます」とおっしゃった。「自分でも不思議な程素直な気持ち」になられたと言われる。そして、近付いて来て下さったイエス・キリスト、闇の中で手を引いて下さって光へと至らせて下さるイエス・キリストを知った、と書いておられるのです。

 K姉がお好きだった聖書の箇所の一つは、詩篇23篇でした。姉妹は、私達がお訪ねすると、賛美歌を歌うようにとリクエストされるのが常でしたが、洗礼を受けられた日、この詩篇23篇を歌う賛美歌354番(先程ご一緒に歌いました)を真っ先にリクエストなさいました。

 詩篇23篇には、4節に、「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」とあります。

 イエス様が近付き、重荷を背負って下さると感じる、と書かれた姉妹が、天に向けての旅立ちの道も、一人ではなく、イエス・キリストと共に歩んで頂いたことを信じます。そして、姉妹が今、天の御国で永遠の命をもって生きていると、聖書が約束することを信じます。

 そして私達は、初めのテサロニケ人への手紙の御言葉にあるように、やがて主のみもとで、先に眠った人々、つまり先に天に召された人々と再び会う日が来るのだと聖書が約束していることを信じます。

 K姉が、そのような信仰をもって、安らかな最期を歩まれたことに、私達は沢山の心の支えを頂いたのです。

 昨日、地上での最後の時のご様子について、ご主人からご紹介がありましたが、私が最後にK姉にお会いしたのは、日曜日でした。

 日曜日は、少しうつらうつらなさっているようにも見えましたが、しかし、私とご家族がお祈りすると、はっきりと「アーメン」とおっしゃって、そして「信じます」と続けられたのです。

 その前の日の土曜日は、もっと覚めておられました。その時開いて読んだ御言葉が、先程お読みしたピリピ人への手紙1章21〜24節でした。

 ここには、私達人間の常識的な考えからすれば、驚くべきことが書かれています。

 これは、使徒パウロが、生きるか死ぬか、というギリギリの状況の中から書き送った手紙の一節です。何とここでパウロは、一方で、生きるということは、実り多い人生につながるので素晴らしいと言う(これはよくわかりますが)、しかし他方で、世を去ることはどうなのかというと、天の御国でイエス・キリストと共にいることになるので、もっと素晴らしい、と言うのです。それはどちらも素晴らしいので、自分は、生きることと召されることと、どちらが良いのかわからない、と言うのです。

ピリピ人への手紙1章21〜24節。 「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。」

 この最後にあるように、私達のためには、K姉が必要なのです。それはそうなのです。最後の最後まで、直って頂きたい、と皆が願ったのです。しかし、神様は、パウロが「はるかにまさっています」と言う天の御国へとK姉を召して行こうとしていたのかも知れません。

 あの土曜日に、この箇所を読んだ時、K姉は、こうおっしゃいました。

 「もう一度、そこを読んで下さい。」

 私がもう一度読みますと、K姉は、「もう一度、そこを読んで下さい。」とおっしゃいました。

 私がもう一度読みますと、K姉は、「もう一度、そこを読んで下さい。」とおっしゃいました。

 四回、私がそこを読みまして、そして、祈り終えて立とうと致しますと、K姉が、お祈りをなさったのです。

 実は私は、その時初めて、K姉がその口でお祈りなさるのを聞きました。

 姉妹は、「神様、有り難うございました。」とおっしゃいました。

 「素晴らしい人生を、有り難うございました。」とおっしゃいました。

 それから、「神様、主人をよろしくお願い致します。」とおっしゃいました。

 それから、「神様、子供達をよろしくお願い致します。」とおっしゃいました。

 それから、ご主人に向かって、「有り難う。」とおっしゃり、その手を取って、「有り難う。幸せな人生でした。何も出来なくてごめんなさい。」とおっしゃいました。

 そして、繰り返し、繰り返し、「有り難う。」「有り難う。」と言われました。

 それから、私の方へも手を伸ばして、「有り難う。」「有り難う。」と繰り返し、言われました。

 ご主人が、K、もうよくわかったからいい、とおっしゃって止めるまで、「有り難う。」と言い続けたのです。

 昨日ご主人が、K姉のベッドから一枚の走り書きが見つかったと、お話して下さいました。そこには、「有り難う、有り難う、…、何万回も、何万回も、…」と書かれていたのだと、私達は知りました。その言葉の意味が、私にはよくわかるのです。最期のK姉は、実に、感謝に満たされた方でした。

 私は、この地上の旅路で、このような方にお会い出来たということ、それが、いかに大きな、神様が下さった恵みであるか、ということを思います。

 あの頃も、色々な機会に何度も、K姉のお姿には頭の下がる思いが致しましたが、今も、振り返って見て、私達はこう思うのではないでしょうか。・・・人間というものは、これほどまでに、神と人への感謝の念に満たされて、人生を締めくくることが出来るのだ、と。・・・私達は、そう、K姉に教えられたのだと思います。

 私自身は、そんな風に自分の人生の終わりを締めくくることが出来るだろうか。私は、自分の人生を、「有り難う。」と言って、閉じることが出来るだろうか、と思います。それはつまり、最期を「有り難う。」と言えるように、「今」を生きているだろうか、ということでしょう。今、私達がこの口で、文句を言い、人を批判し、他人を傷つけているのならば、最期の言葉が突然「有り難う。」になることは、期待出来ないでしょう。

 K姉は、最期を「有り難う。」と言って終わることの出来る人生を、45年間生きたのだなあ、回りの人々もそういう人生を共にさせて頂いたのだなあ、ということを、今回しみじみと思ったのです。

 「有り難う。」と言って、天に帰って行かれたK姉。私達は今、やがての日に、天の御国で、K姉と再会出来るのだ、やがて姉妹は、もう一度、ご家族と手を取り合い、喜ぶ日が来るのだ、と信じることが出来るのです。

 さて、今日私達は、しかし、K姉をなつかしみ、姉妹に感謝するだけではありません。これから私達は、今しばらく、この地上を生きて行かなくてはならないのです。その私達の道のりにおいて、K姉から頂いたものを担い、活かして行く使命があります。

 パスカルという、クリスチャンの思想家が、こういう意味のことを言っています。・・・私達は、天に召された故人から受けたものを、私達の人生の中に活かすことによって、いわば、故人を自分の内に再び生き返らせることになる。なぜなら、故人の願いが、そのまま私達の中にあって、今もなお、生きて働いているからだ。・・・  私達が、K姉から受けて、私達の中に活かすべき課題は多いのです。

 実は、私自身、私事になりますが、4才の時に父親を亡くしました。兄は7才でした。私は、子供の頃は長い間、自分の家族しか知りませんでしたから、家族というものはこんなものなのだと思っていましたが、今、自分が40才を越えて、自分の家族を持って、今更のように、私の今があるのは、私の父の亡き後、本当に一致協力して、互いに犠牲を払いつつ、母子家庭であった我が家を支えてくれた、親戚、知人のばく大な力添えのゆえであったことに気付くようになって来ました。

 同じことが、これからの大沢ファミリーにも必要とされて行くでしょう。

 私達は、担うべきものを担って、スタートしなければならない。それが、天で見ておられるのでしょう、K姉の眼差しに応えることだと思います。

 そして、その歩みが、今は天上と地上にしばし分かれているとしても、やがて天で一緒になる希望を知る者にふさわしいのです。それを思って、天の姉妹を思い、地上の私達の歩みに思いを致して、ご一緒に「また会う日まで」(賛美歌405番)と賛美して、K姉を送りたいと思います。

 お祈り致します。・・・  


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