お子さまを持つお母様の皆様に、また、教会という神の家族の中でお母様のような存在となっていて下 さる皆様に、心より感謝申し上げます。
聖書の中には、色々な母親のことが記録されています。また、「母なるもの」あるいは「女性像」を考 える上でのモデルとなった人達も幾人もあります。
例えば、人類の母、エバ。また、イエス・キリストの母であり、時には教会の母と言う所にまで高めら れてきたマリヤ。あるいは、アブラハムの妻であり、神の民の母となるサラ。・・・
聖書の中で、母親達は、良い意味でも悪い意味でも、子供に大きな影響を与えた存在として描かれま す。また、命の源となった存在として(一人の人間の命というだけでなく、共同体の命の源となった存 在として)描かれます。
つまり、この母親達は、自分達が一人の人間として神様との関係においていかに生きるかという課題に 取り組んだ(それは老若男女に共通する課題ですが)と同時に、次の世代に影響を与える者として、次 の良きもの、または悪しきものを生み出す者として、自分一人に終わらない存在として生きているのだ と思います。
聖書の民、ユダヤ人達は、極めてユニークな子育て法をを採っていたことで有名です。
その大きな特徴は、幼い時からの聖書教育であり、信仰教育ということであります。
ユダヤ人の子供達は、母親の乳と共に御言葉を飲んで育つのだと言われます。
また、ようやく物を食べるようになりますと、肉体の糧以上に大切な魂の糧である聖書に赤ん坊を口付 けさせます。そしてもの心つくまでには旧約聖書の暗唱を課すわけです。私達のしている暗唱聖句とは 比べものにならないほどのやり方で、旧約聖書の冒頭からの丸暗記を、子供達は独特のリズムで体を揺 すりながら、御言葉を自分の体の中にたたき込むかのようにしてなすのです。
この特徴的な御言葉教育と、信仰教育が、ユダヤ人という小さなグループから沢山の天才的思想家や芸 術家、各会のリーダー達を生み出した秘訣だったのではないか、などと注目されてきました。
ある方が、信仰継承(信仰を子供達に伝える)ということは、親が子に言葉を教えるのと同じだ、とい うことを書いています。
親は子が生まれると、どんな言葉を教えるでしょうか。自分が持っている言葉を伝えます。そしてそれ が、その子供が世界を受け止めていく枠組みとなり、土台となるのです。信仰も同じです。信仰が、そ の子供が世界を受け止めていく枠組みとなり、土台となります。
幼い子供に信仰を伝えるのは、子供の自由を制限するという方がありますが、そこには大きな誤解があ るのではないでしょうか。親は子供に正しい言葉、正しい世界観、正しい信仰を教えなければなりま せん。
子供は、悪い言葉を覚えて来ます。その時に、どんな言葉を使うのもあなたの自由だなどと、親は言う でしょうか。自分が正しいと信じる言葉を教えるでしょう。
あるいは、本人が大きくなって自分の言葉を日本語にするか、英語にするか、中国語にするか・・・本 人の自由を制限するのはまずいから、私は子供に日本語を教えないのです、などと言う親がいるでしょ うか。誰だって、正しい日本語を教えようとします。
同じように、正しい考え方を幼い時から、まさしく乳と共に子供に与えることが、親が子に与え得る最 大の恵みの一つであり、これは親の責任であります。子供達は、自分からは、与えられるものを選ぶこ とが出来ないで、ただ受ける他ないのですから、親は正しいことを選んで与えなければならないわけで す。
こういう点で、ユダヤ人達は、子供に神の民の言葉であるヘブル語を教え、神の言葉である御言葉を教 えようとした、という点で、大変賢かったというべきでしょう。
そういう意味で、やはり母親の存在、影響、母親が何を持っていて、何を与えるか、何を生み出す か・・・これは、大きなことであるわけです。
ぜひ、子供達に、また教会の次の世代に、良きものを与えていくことを考えたいと思います。
この、何を持っていて、何を与えるのか、何を生み出すのか、という点で、今日の御言葉(これはパウ ロが愛弟子テモテに書き送った手紙であって、その中でパウロは、弟子テモテの母親ユニケの信仰と、 更にさかのぼってそのまた母親ロイスの信仰のことを言っているのですが)ここに、大変印象深い言葉 があります。
それは「宿る」という言葉です。
テモテへの手紙第一1章5節、「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰 は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたの うちにも宿っていることを、私は確信しています。」
信仰はまず祖母ロイスに宿り、母ユニケに宿り、そして息子テモテに宿ったのだというのです。
この「宿る」という言葉に、信仰とは小手先のことではないのだなあ、と思わされます。
信仰とは、何か持ち物のように渡されるものではなく、またアクセサリーのように受け継がれていくの ではなく、母の内に宿っているものであります。
信仰と限らなくてもいいのですが、母親が子供に与えるものというのは、母の内に宿っているものが、 まるで生き物の様に、子供の内にも生命を得ていくものなのでしょう。
母親の生きる姿が、母親の言葉が、母親の信仰が、母親の存在そのものが、そんな力を持っているよう に思います。
私自身のことを考えてみましても、例えば今回、インターネットに多磨教会の案内を出しまして(アク セス数は今千四百位になりましたが)そこに広瀬牧師の顔写真とプロフィールが載っていまして、そこ に私のモットーとして、何という言葉を載せているかというと、「暮らしは低く、思いは高く」という 言葉を載せているのです。
ところで、どうして「暮らしは低く、思いは高く」などと思うようになったのだろうかと考えますと、 母親が私にそう言い聞かせて育てたからだということに思い至るわけです。
ではなぜ母親はそう私に教えたのかと言いますと、私の母は、もともとはクリスチャンではありません でしたが、自由学園というミッションスクールの卒業なのですが、その創設者であるクリスチャン、羽 仁もと子という先生が常々生徒にそう言い聞かせていたかららしいのです。
そんなわけで、自分の人生観への母親の影響、そしてその背後にあったクリスチャン、聖書、キリスト 教、つまりは神様の存在と言うことを思うのです。
ついでに、私の「薫」という名前ですが、これも羽仁もと子先生が常々、あなた達は世の中で良い香り を放つ者になりなさいと教えていた・・・これはつまり、聖書に出てくる「キリストの香り」という教 えですが・・・それで「薫」と付けたというのです。
そんなこんなで、「暮らしは低く、思いは高く」などと言っていましたら、正にそれを地で行くような 今の務めに落ちつくことになってしまいました。
私がクリスチャンになったのは、家族で最初で、やがて母親が、そして最近では叔母が洗礼を受けまし て、段々と仲間が増えて来たのです。それはやはり、例えば羽仁もと子という一人のクリスチャンに 宿った信仰、あるいは私の母親に宿ったものが、やがて命を持っていくということであり、神様によっ て活かされ、伝えられていくということ・・・そんなことがキリスト教二千年の歴史の中で、延々と鎖 のようにしてつながってきたのだと思います。
しかし、もちろん、それが簡単に伝わって行くのではありません。
ここに出てくる祖母ロイスと母ユニケですが、このユニケの夫は異教徒でした。つまりテモテの父親は ギリシャ人であって、ユダヤ教徒でもクリスチャンでもなかったらしいということが、使徒の働きなど から伺われるのです。
それならば、祖母ロイスと母ユニケは、どんなに苦労しつつ信仰の戦いをしつつ、その子テモテを育 て、また当時のローマ帝国支配下の異教社会の中で生き抜いたことでしょうか。・・・これは、今私達 がおかれている日本の状況と同じだったのではないかと、私達は共感を覚え、また励まされるのではな いでしょうか。
パウロはそういうロイスやユニケの信仰の労苦を知っていたから(パウロはそれをここで「純粋な信 仰」と呼んでいるのですが)ここで、愛弟子テモテの信仰について述べるのに、わざわざこの二人の名 前に言及しているわけでしょう。それに比べれば、父親の方の影などは、全くかすんでしまっているわ けです。
このような大きな母親の存在というのは、何も聖書の中に限られませんで、キリスト教の歴史の中に沢 山出て来ます。色々な母親を思い浮かべるでしょうけれども、何と言っても有名な母親と言えば、あの アウグスチヌス(カトリックの父と呼ばれ、プロテスタントの父とも呼ばれる、紀元四世紀頃の大人物 ですが)の母親モニカでしょう。
あの母モニカも、今日の御言葉のテモテの母ユニケと似た状況を抱えていました。夫は初めクリス チャンではなかったのです。モニカは家庭のただ一人のクリスチャンでした。こういう状況は、日本だ けではなくて、キリスト教の歴史の中で、ずっとあったことなのだなあと思います。(夫はやがて信仰 を持ちます。)
特にモニカにとって大きな重荷になったのは、息子アウグスチヌスの方でした。モニカは子供を幼い時 から教会に連れて行く。
(おかげでアウグスチヌスは、神様の御名を私の幼い心は母乳と共に飲んで自分の奥深く蓄えた・・・ という恵みを自覚するのです)
母はそんな風に子供のために祈り労していくわけですが、しかし息子アウグスチヌスは、成長してやが て母親の元を離れようとし、生活上の過ちを犯し・・・要するに母モニカは、息子のために、私達の多 くが経験する悩みを負うことになります。
詳しい話は省きますが、特にアウグスチヌスが一時期(と言っても十年近い年月なのですが)マニ教と いう、異端の宗教に惹かれて行ってしまうということが、大変にモニカを苦しめます。
その時母モニカは、子供に死なれた母親以上にもっと激しく神様に向かってなき悲しんだと、アウグス チヌスは書いています。そして、神はその嘆きの声を聞かれ、その涙を無視なさらなかったとも書きま す。特に、この失意の母親を支えたことが二つあったと彼は書いています。
一つ目は夢でありました。(省略)
もう一つは、教会の司祭の有名な言葉でした。
モニカは、息子がマニ教へと足を踏み外して行こうとする時、教会へ行って司祭に、どうか一度息子と 話して彼の間違いを悟らせ、悪いことを思い止まらせ、良い方向に進むようにして下さいと頼むので す。
すると司祭は、今息子さんはマニ教に入ったばかりで夢中だから、今話しても彼は聞かないでしょう。 むしろ彼をそこに置いておいて、ただ彼のために主に祈りなさい。彼自身がやがて自分の間違いに気付 くでしょう、と言うのです。
母モニカはそれを聞いて、いやそれでは安心できません。何とかお願いします、とさめざめと涙を流 し、どうか私の息子を説得して下さいと懇願するのです。
すると司祭は、少々怒りまして、こう言ったというのです。
「お帰りなさい。あなたは本当に真実に生きています。このような涙の子は、滅び得ないのです。」
これが有名な言葉となりました。「涙の子は、滅び得ないのです。」
母モニカは、これを、あたかも天からの声のようにして聞いたというのです。
「涙の子は、滅び得ないのです。」
それから、アウグスチヌスはいろいろと放浪も致しましたが、ついにクリスチャンとなって、そして後 にはあの有名な「告白」を書くのですが、その中で、自分が信仰を持つに至った陰には、母モニカの涙 の祈りがあったということを繰り返し書くわけです。
母の涙を通して、夜も昼も私のために神様に犠牲が捧げられていたのだとか、・・自分が洗礼を受けて 濡れた時にようやく母の涙(かれはそれを、「大地をぬらしたあふれるような涙」と言うのですが)は 乾いたのだとか、・・母の涙について繰り返し語り、そして、神様は彼女の涙を歓喜へと変えたもうた のです、と言うのです。
また、母親は私を肉体においてこの世に生み出し、そして、心においては永遠の命に生み出した、と語 り、そしてそれは、母親の賜物ではなく、母親に与えられた神様の賜物だったのだと、神様を見上げて たたえます。
それは正に、今日の御言葉のように、母親に宿った神様の賜物である信仰が、自分の信仰をも生み出す ことになって行ったという(ロイス→ユニケ→テモテというように)ことと同じであります。
このような母なるもの、母の祈り、母の涙、あるいは母なる教会の存在は、神様が人類に与えたもうた 大きな恵みであります。
これなくしては、子供は正しくは育たない。これなくしては、信仰は絶え果ててしまう。これなくして は、人類は滅びへと向かうばかりという、大切な恵みであります。
私達は母親に感謝し、そして、母親を与えて下さった神様に(アウグスチヌスがそうであったように) 感謝を捧げます。
そして、母親本人であられる方々、あるいは教会の神の家族の中で母親のような存在であられる方々 は、この母親としての務めを神様に依り頼んで果たすことが出来ますように。
母親にしか出来ない大切な務めが沢山あります。たとえその務めが、あのモニカのように、涙の祈りを 朝に夕に捧げることで、大地を濡らすということであったとしても。
「涙の子は、滅び得ないのです。」と教えて下さる方が、天におられます。
「涙を喜びに」変えたもう神様が、私達と共にいて下さいます。
それを覚えて、そして、主に依り頼んで失望は無いことを信じて、歩みを進めて行きたいと思います。
また、自分は子供の方だという若い方々は、自分が思い通りに生きて行くその陰に、いかに多くの、大 地を濡らす母の涙が流されているか・・・そういうことに子供の方は、えてして鈍感であるものです が・・・その涙が、神様の御手を動かし、子供に大きな恵みをもたらしていることを覚えたいと思いま す。
お祈り致します。・・・