『闇の中から驚くべき光の中へ』

多磨教会牧師 広瀬 薫

先週教会総会が持たれまして、今年度の標語と御言葉が決まりました。

標語は、「驚くべき光の中に招いて下さった主を宣べ伝えて歩む」。御言葉はペテロの 手紙第一2章9〜10節です。 

この御言葉は年間聖句ですから、今日味わって終わりではなくて、今年時々取り上げて味わいを深めて 行きたいと願っています。

今日は、この御言葉が教えようとしていることの基本的な所を味わいます。三つのことをお話し致しま す。

(1)第一のことは、9節「しかし、あなたがたは、選ばれた…」ということです。

聖書はここで、他の人達はこうこうなのだけれども、「しかし、あなた方は」選ばれたのだ、招かれた のだ、と教えようとしています。

では、他の人達とは、どういう人達かというと、そこに出てくるのは、7節「より頼んでいない人 々」、8節「御言葉に従わない」人々・・つまり、聖書がここで見ている世界というものは、あるいは 人間というものは、神を信じない、神を受け入れない、神に従わない、…という世界であり人間であり ます。

そして、そのために滅びに向かって進んでいる世界であり人間であります。

このことを端的に表現した有名な御言葉が、お開き下さっている聖書の右ページ、1章24〜25節「人は みな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のこと ばは、とこしえに変わることがない。」です。

これを書いたペテロが見ていた世界とは、あの大ローマ帝国の繁栄の世界でありました。

しかし、何とペテロは、自分が見ている大ローマ帝国の栄えも、いわば草や花のようなものであって、 皆やがてしおれ、散り行くものなのだと見ていたのです!これは驚くべき言葉であります。驚くべき世 界観・人生観であります。

当時の人々は、こんなペテロの言葉を聞いて、どう思ったのでしょうか。・・・もちろん、あざけった ことでしょう。

「何を言うか。この大ローマ帝国の栄えが、終わる日などあるだろうか。この富が失われる日など来る だろうか。この知恵が行き詰まることなど考えられるだろうか。…」と。

しかし、そんな当時の人々の常識と、このペテロの確信と、どちらが正しかったかを、今私達は見てい るのです。ローマ帝国の最後は、巨大な狂った機械のように操縦不能になりまして、その繁栄の跡は遺 跡の群れとなっています。他方、ペテロの言葉は真理の御言葉として、今も世界中で読みつがれている のです。

顧みて、今の私達の世界と人間は、大丈夫なのでしょうか。日本は、また、アメリカが大きな力をふる う今の世界は大丈夫なのでしょうか。

「大丈夫だ」と、多くの人は思っているけれども、実は少しも大丈夫ではない、と、ペテロのこの言葉 は今も真理を告げているのではないでしょうか。

事実、五十年前の戦争の出来事を思っても、共産圏の崩壊を見ても、正に、「草はしおれ、花は散る」 ということだったのだと私達は思い知らされたのではなかったでしょうか。

神を信ぜず、受け入れず、神に従わない世界と人間は、如何に危ういものなのか、しおれ、散り行くも のなのか、・・・聖書は私達にそのことを気付かせようとしています。

では、全く空しいということなのか。聖書は、しょせん世界も人間も滅び行くただ空しいだけの存在な のだと教えているのか。

「行く川の水は絶えずして、しかももとの水にあらず」という無常観に、ペテロは浸っていたのか…と いうと、そうではないのです。

決してそうではない、というのが、今日の御言葉の9節「しかし、あなた方は」に込められている意 味です。

なるほど、世界も人間もしおれ散り行くのだろう。しかしあなた方は違うのだ。あなた方は違う者とし て選ばれ、違う世界へと招かれたのだ、というのです。

では何が違うようになったのか、というと、ここに三つのことが並べられています。それぞれ、前はこ うこうだったのに、今はこのようにして頂いた、ということを対照的に教えています。

?@一つ目は9節、「闇の中から驚くべき光の中に」

?A二つ目は10節、「以前は神の民でなかったのに、今は神の民であり」

?B三つ目はその続き、「以前は憐みを受けない者であったのに、今は憐みを受けた者です」

さて、この一つ一つに、私達は心底納得することが出来るでしょうか。

つまり、まことの神様に出会う前の私の人生は、闇であり、神の民に縁が無く、神の憐みを受けること の無い、実に悲惨で、救われない人生であったのだと、私達には見えているでしょうか。

そのような人生から、あなた方は神様によって選ばれ、招かれ、救われたのだ。あなた方と神様との関 係は変わったのだ。聖書はそう教えようとしているわけです。これが、今年各人よく味わいたい一つ目 のことです。つまり、救いの体験です。

(2)次に、第二のポイントは、そのようにして救われた後の広がりなのですが、9節に四つのことが 並べられています。

「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」

さて、この四つの言葉が何を意味しているのかですが、私達にはなかなかピンと来ないのかも知れま せん。

何故かというと、この言葉は旧約聖書に出てくる言葉だからです。つまり一言一言に、旧約聖書のあち らの教え、こちらの啓示が、ギュッと凝縮されて詰め込まれているわけです。

今日はそこまでは触れることができません。ただ、覚えたいことは、ここには深い意味が込められてい るということです。

そして、ペテロはその深い世界を味わって、何と言っているかというと、「驚くべき」ことだと書いて いるのです。(9節)

ペテロは驚いています。

これは、救いの驚きだけではないでしょう。

この手紙を書いた時、ペテロはすでにイエス様との出会いから三十数年たっていたことでしょう。その 年月を振り返って見る時に、確かに救いの体験は「驚くべき」御恵みの体験であったでしょう。しかし クリスチャン生活は、それだけで終わりではなかったのです。

更に、選ばれた種族とされたことの意味・王である祭司とされた意味・聖なる国民・神の所有とされた 民の意味・・・一つ、また一つと、自分が救われたということの持つ意味の奥行きが開けて来るので す。今まで見えなかった奥義が見えて来るのです。そして、驚く、という信仰体験を、重ねることと なったわけです。

私達は、信仰によって救われて、神の国に入ったのですが、神の国の門を入った所で安心しきってし まって、もう一歩も動こうとしないという者であってはならないと思います。

やはり入ったからには、神の国をあちらへこちらへと、奥へ、広く、…その素晴らしさを余す所なく味 わう者でありたいと思います。

これが今年私達がこの御言葉を通して味わいたい第二のことです。つまり、救われた後に用意されてい て、開けていく恵みの世界を自分のものにして驚く、ということです。

(3)そして第三のことは、・・

ペテロはここで、私達と神様の関係が変わったというだけではなくて、もう一つのこと、つまり私達と 世界との関係も変わったのだということに気付かせようとしています。

私達が滅び行く世界から選び出されたということは、恵みの特権ですが、この特権は同時に、滅び行く 世界に対する使命も含んでいたのです。

9節後半、「それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださっ た方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」

滅び行く世界の希望は、実にあなた方の宣教にかかっている。

先に救われたあなた方は、伝えるために選ばれたのだ。あなた方は、伝えるという、意義深い人生へと 招かれたのだ。・・・これが、今年私達がこの御言葉を通して味わいたい第三のことです。

 以上三つのこと。

第一に、自分の頂いた救いの恵み。

第二に、更に用意されている恵みの成長。

第三に、素晴らしいイエス様を伝えるという使命。

・・・この三つのポイントを覚えながら、この御言葉を一年掲げて取り組んで行きたいと思います。


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