皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。
前号の「心配する必要はない」の箇所に続く聖書のみ言葉です。テーマも同じ「心配」ということが 続きます。
前号を読まれた方で、「もう私は心配事からは解放されました」「思い煩いはすべて神様に委ねるこ とが出来ました」とおっしゃる方は良いのですが、しかしそう簡単に心配から解放されないのが私たち 人間でしょう。頭では、「心配も思い煩いも不要なのだ」とわかっていても、なお色々なことで心配し 続けてしまうのでしょう。
イエス・キリストは、そんな私たちの心配症をよくよくご存じだったのでしょう。「心配」について の教えは、前回の箇所で終わらないで、かなりの長さ続くのです。
実にていねいに教え、説明して下さっています。神様が、何とかして私たちに無用な心配をやめてもら いたい、神様の愛の中に安らいだ生き生きとした人生を送ってほしいと、一生懸命説得しているかのよ うな箇所です。
前回、「空の鳥を見なさい」と大空を指さしたイエス様は、今度は、「野のゆりの花を見なさ い」と地上を指さします。
「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだ から、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」(マタイの福音書 6章30節)
あなたは、野の花を見たことがあるでしょうか? もちろんあるでしょう。では、野の花を、よーく しげしげと見たことはありますか? そして、感動したことはありますか?・・・
もし、あなたの答が「はい」であるならば、あなたは、ここでイエス様が言われることがおわかりに なるでしょう。
今咲いていても、数日で枯れてしまう野の花です。枯れれば集めて焼かれてしまうような平凡な野の 花ですが、よくよく見れば実に見事に細かい所までよく出来ていて、人間にはとても作り出せない精巧 さを持ち、調和を持ち、美しさを持っています。
さて、イエス・キリストは、そんな野の花に見る神様の創造の美と、なんと、私たち人間の繁栄の姿 とを比較してみせるのです。
私たちの国日本も、世界の中で大変繁栄した部類に入っていますが、野の花と人間の繁栄の比較対決 となったら・・・どうでしょう、どちらに軍配が上がるのでしょうか?
ここで登場する人間の側の代表選手は、聖書中の人物で、人間の精神的・物質的繁栄の頂点をきわめ た言われる人、ソロモン王です。ソロモン王の知恵・金銀宝石等の富・それを湯水のように用いて発展 した当時の文化・・・それは、人間が手にする繁栄・栄華の極致として、人々を驚嘆させたものでし た。
そんなソロモン王と、野の花一本とを比べてみましょう。・・・どちらが着飾っているでしょうか? どちらが美しいでしょうか?・・・
そんなのは、ソロモン王に決まっているではないか、というのが、人間の常識でしょう。
ところがなんと、イエス・キリストは、
「しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つ ほどにも着飾ってはいませんでした。」(マタイの福音書6章29節)
と言われるのです!(驚きましたか?)
人間の手にする最高の繁栄も、ただ一本の野の花の美しさにおよばない・・・と、軍配は野の花の方 にあがったのでした。
ここで私たちは、自分の持っている価値観・人生観を揺さぶられるのではないでしょうか。私たちが 心配したり思い煩ったりしながら、求めていることは何でしょうか?
出世でしょうか? 財産でしょうか? 人間関係でしょうか? 成功でしょうか?・・・
それはすべて、大切なものです(もちろん大切なのです)。しかし、その前に、もっと大切なことを私 たちは見落とし、忘れてはいないでしょうか。
イエス・キリストは、さあ、大自然を見よ、と言われます。神様は、小さな花の一つ一つを、人間わ ざではとても及ばない美しさで装って下さっています。それは、世界を創造した神様の愛なのです。
そして一転して、イエス様は、もう一度私たちの方に目を転じて言われます。
「ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」
創造者の愛に満ちたこの世界に気付いた目で自分を見てみましょう。
神様は私たちに、野の花どころではない、はるかにまさった大きな愛を注いで下さっていることにあな たは気付くでしょうか?
私たちの体・命・魂・心・人格・・・野の花には無い装いをたくさん頂いていることがおわかりにな るでしょうか。
野の花は数日で枯れてしまいますが、神様は私たちには「永遠のいのち」を下さいます。
イエス・キリストが十字架にかかったのは、野の花のためではなくて、私たちの救いのためでした。
それほどまでにして、神様は私たちを、文字どおりいのちがけの愛で愛して下さっているのです。
それがわかれば、私たちは、もっともっと安心して、神様を信頼して、喜びと楽しみをもってこの世 の旅路を歩めるはずではないでしょうか。
最後に、前号にも載せたみ言葉をもう一度載せておきます。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくだ さるからです。」(ペテロの手紙第一5章7節)