新年明けましておめでとうございます。 これを読むあなたの上に、今年一年間神様の御恵みが豊かに注がれますようにとお祈りいたします。 新年を迎えてのあなたの感想はいかがでしょうか。
ある方が、「カレンダーが新しくはなったけれども、回りを見れば、あいかわらずの古女房・古家財・古屋……。それに私もまた一つ年をとったわけだ…。」とつぶやいていました。 確かに、新年を迎えたとは言っても、カレンダーと一緒に新しくはならないものもあります。そのカレンダーもすぐに古びていくでしょう。 「新」とつくこの世のものは、全て古びていきます。例えば、新車は中古車に、新居は中古物件に、新人は古参に、そして新婚も…といった具合です。
聖書は、時の流れと共に、この世の全ては「過ぎていく」ことを私達に気付かせようとしています。 そしてそれと同時に、時と共に「過ぎていかないもの」があることを、私達に教えています。 そのことを、コリント人への手紙第二の4章では、印象的な対比を用いて説明しています。
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 …私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。 見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(コリント人への手紙第二4章16、18節)
ここには、「外なる人」と「内なる人」の対比があります。 「外なる人」とは、私達人間が生まれながらにして持っているものです。
例えば、肉体です。それは今いかに元気で若々しくても、やがて時の流れと共に必ず衰え滅びていくものです。 それは誰もがいずれ否応なしに実感させられる神の定めなのです。
また例えば、知力・感情・意志の力です。これも歳を取ると共に次第に衰えて来るでしょう。
「外なる人」は衰えるのです。
「そんな風に考えると、新年早々何だか空しくなってくる」と思われるでしょうか。
しかし聖書が指摘する人間の滅び行く現実が、自分自身にも当てはまることを、誰でも認めないわけには行かないでしょう。
そして、聖書は実は、私達を空しくさせたいのではないのです。 むしろ空しさに沈んで行く私達に、決して空しくないもう一つの現実があることを教えようとしているのです。
つまり、神を信じる者には、決して滅びない「内なる人」が存在しているのだと教えるのです。 そしてこの「内なる人」は、時と共に衰え古びていく「外なる人」とは対照的に、「日々新たに」されていくのだと言うのです。
「内なる人」とは、神によって私達の内に造り出された、永遠の命を持った新しい人です。 それは、ただ単に死んでもなくならない命だというだけではなく、地上の人生において「日々新たに」リフレッシュされ、成長し、喜びに満たされるのを私達は体験するのです。
もう一つここに、一時的な「見えるもの」と、永遠の「見えないもの」の対比があります。
私達はやがて過ぎて行く地上の「見えるもの」にばかり目を奪われがちですが、実は大切なのは、永遠に続く「見えないもの」の方であることを悟る必要があります。
今年一年、永遠に価値のある、生きがいのある一日一日を送ることを心がけたいものです。
ぜひもう一度、前記の聖書のみことばを読み直し、味わい、永遠に根ざす日々をお送り下さいますように。