牧師 広瀬薫
毎年巡って来るクリスマスは、あなたにとってどのような日でしょうか。 「毎年この日だけは教会へ行ってお祝いします」とおっしゃる方もあります。 「自分はキリスト教徒ではないからクリスマスなど関係ない」とお考えの方もあるでしょう。 むしろ、クリスマスはプレゼントとパーティーとバーゲンセールとデートの時だとお思いの方もあるかも知れません。 今ではとにかく世界中の人々が、クリスマスという日を知っています。しかし、これをどのように受け止めるかは人それぞれ、様々です。 そして、どのように受け止めるかによって、クリスマスの意味はそれぞれの人にとって、全く違ってしまうのです。
実は、世界で最初のクリスマスの時(つまり本当にイエス・キリストが今日生まれたという誕生日の日)も、それは同じだったのです。 その時も、イエス・キリスト誕生の知らせは広く行き渡り、その地方の人々は皆知っていたのです。 しかし、その知らせに対する反応は様々でした。 それは世界の歴史を動かす大事件の日でしたが、…仕事に忙しくしてかまっている暇の無い人、私には関係ないと無関心な人、そんなことが信じられるかと疑う人、キリストなど自分には邪魔者だと反発する人、…色々でした。 (それは今の私達と全く同じではないでしょうか)
キリストを喜び迎え、その誕生をお祝いした人達は本当に少なかったのです。 でも彼らこそが、世界で初めのクリスマスという大事件を自分で経験し、その喜びを受け止めた人達だったのでした。 例えば、聖書に出てくるのは、ある羊飼いたちです。 彼らが受けた知らせの言葉は、「きょうダビデの町(=ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。…」(ルカの福音書2章 節)というものでした。 彼らはこれを聞いて喜んで、何はさておき出かけて行って、生まれたばかりで飼葉桶に寝ておられるイエス・キリストを捜し当てたのでした。
この知らせのどこが彼らをそんなに喜ばせたのでしょうか。これは三つの意味で「喜びの訪れ」だったのです。
誰でも色々な問題を抱え、願いを持ち、悩みにまとわりつかれながら生きています。 それに対して神様は、「解決はいつの未来かわからないけれど待っていなさい」と言われるのではありません。 「もう今では遅い取り返しのつかない過去のことだ」と言われるのでもありません。 「きょう」それは実現しました、と言われるののがクリスマスです。 その日からはいつでも、神様の下さる恵みのプレゼントは、今、きょう、ここに、差し出されています。私達はただ素直にそれを喜んで受け取れば良いのです。 「きょう」すでに私のものになっているのだ、という喜びを頂くのがクリスマスなのです。
誰か特別な人のためではありません。 財産や、地位や、特別な能力があることや、特別な努力や修行が条件ではありません。 また、困ったことや病気を持っていることが条件でもありません。 クリスマスの喜びは全ての人に平等に差し出されています。そこに老若男女・地位学歴財産身分出生等々の差別区別は全くありません。 正に今これを読んでおられる「あなたのために」イエス・キリストは生まれたと聖書はいうのです。 大切なのは、それを聖書のいう通りに「私のため」だと受け止める、あの羊飼いのような姿勢です。
クリスマスに神様が下さったプレゼントは、物ではなく、ケーキでもありませんでした。 もっと根本的に、私達人間の必要全てに応えるもの、救い主でした。 つまり、私達の人生を本当に生かす命を下さり、私達の人生を傷つける歪みから解放し、死んでも失われない永遠の命を与え、神の御国に導き入れて下さる、「救い主」なのでした。 クリスマスはあなたへの喜びの訪れです。 その喜びは、あなたがそれを、「きょう」「私のために」「救い主が」と受け止める時、現実のものとなります。 今年のクリスマスに、あなたもどうぞこの喜びを、ご自分のものとして味わうことができますように。 メリー・クリスマス!