1993・02・04

第22講 現代における諸問題

I.WCC派と福音派との分裂

* K.Hylson-Smith : Evangelicals in the Church of England 1734-1984.1989.   

* G.M.Marsden (ed.): Evangelicalism and Modern America.1984.         

* D.G.Bloesch : Essentials of Evangelical Theology.1979.

* G.M.Marsden : Reforming Fundamentalism.Fuller Seminary and the New     Evangelicalism.1985.

1)福音派の起源

エヴァンジェリカルという呼び名は宗教改革の時、ルター派に当てられ、ルター派自身もそれを用いた。これと今論じようとしているものとは全く別である。英語圏でのエヴァンジェリカルは、イギリスとアメリカで若干性格を異にする。

 英国国教会の中の、18世紀の宗教覚醒運動の関係者で特にホイットフィールドの影響を受けた人々をエヴァンジェリカルズと言う。個人的回心、信仰による救い、キリストの贖罪の死を特に強調する説教によって特徴付けられるものである。また、聖書の霊感と権威への明確な信仰を持つ。英国国教会の中のアングロ・カソリシズムの対極にあるもの で、ジョン・フレッチャー(1729-85)、ヘンリー・ヴェン(1725-95)、ウィリアム・ロメイン(1845-95)などの説教者が指導的であった。19世紀にエヴァンジェリカル・アライアンスが成立し、この運動がエヴァンジェリカル、またエヴァンジェリカリズムという名称の内容を規定することになった。

 すなわち、反カトリック、反近代主義、そして多かれ少なかれリヴァイヴァリズムの傾向を帯びる。教派的・信仰告白的主張は必ずしも強くなく、個人的傾向がある。信仰は教会的であるよりも個人的であるとして理解されているようである。英国教会に属していても、リタージーへの関心はおおむね低い。神学的にはカルヴィニズムの保守主義の影響が大きく、これはファンダメンタリズムへ拡がる可能性を持つ。リヴァイヴァリズムに関してはウェズレアンの影響があり、これはホーリネス主義に発展する。

 イギリスの福音派は1827年以後イスリントン・カンファレンスを毎年守っている。1875年以後のケズウィック・コンヴェンションは福音派が聖化の推進のために守る祈祷と聖書研究、講演の会合である。イギリスの福音派はアメリカのようにWCC派と分裂していない。

 アメリカではアウェイクニングと称する運動が初期以来しばしばリヴァイヴァルを起こしていて、リヴァイヴァリズムには馴染みがある。しかし、プリンストンのホッジなどの神学者はリヴァイヴァリズムに反対であった。

 19世紀にはD.L.ムーディー(1837-1899)、I.D.サンキー(1840-1908)などのリヴァイヴァリストが、準備の超教派的組織化、音楽の利用、劇場的演出、扇情的説教を取り入れてマス・エヴァンジェリズムの新しいタイプを編み出した。今日クルセードと呼ばれるもので莫大な資金を注ぎ込み、それ自身は非営利的組織ではあるが、一つの企業として成立するものになっている。また、ラジオ、テレビを用いる。

2)エヴァンジェリカル・アライアンスの帰趨

 エヴァンジェリカル・アライアンスは初めから教会単位の加盟でなく個人単位であったため、団体としての安定は欠け、流動した。

 イギリスのアライアンスは今日も続いているが、クルセード開催の団体になっている。 アメリカでのエヴァンジェリカル・アライアンスは奴隷制度の是非をめぐる論争のために遅れて1867年に結成され、1873年ニューヨークで開かれた大会が最大のものである。次第に衰微し、1900年には影響力を失い、1908年にフェデラル・カウンシル・オヴ・チャーチェズ・イン・クライスト・イン・アメリカに引き継がれる(アライアンスは1944年に解散した)。1912年社会信条を採択したため保守派は分裂する。フェデラル・カウンシルは1950年ナショナル・カウンシル・オヴ・チャーチェズ・オヴ・クライスト・イン・ザ・USA(NCCC)になる。(大きい教派でこれに加盟していないのは南バプテスト、ルーセラン・ミズリー・シノッドで、ペンテコスタル、ホーリネス、エヴァンジェリカル、ファンダメンタルは加わらない)。

 アメリカ福音派の組織としてはナショナル・アソシエーション・オヴ・エヴァンジェリカルズがある。1929年以来のものである。

 福音派の世界的組織としては、上記アメリカの組織とイギリスのエヴァンジェリカル・アライアンスとガ1951年結成したワールド・エヴァンジェリカル・フェロウシップがあ る。

 福音派の文化的活動としては通俗性があるフランシス・シェーファー(1912-1984)の弁証論的活動が広い感化を及ぼしている。

 福音派の書物の出版社としては、インターヴァーシティー、ティンダル、バンナー・オヴ・トルース、ムーディー、クロスウェイ、ベイカー、クレーゲル、ゾンダーヴァンなどで、アードマンスは近年は保守派でなくなった。

 3)メインライン・チャーチとエヴァンジェリカルズの分裂

メインライン・チャーチというのは正確な定義を欠くが、1972年以来ジャーナリズムや社会学者によって用いられる用語であって、アメリカ社会におけるエスタブリッシュメントの教会を指す。アメリカNCCCに加盟する教派のうち会衆派、長老派、聖公会等、歴史の古い教派が先ずこれに属すると認定され、それに改革派(RCA)、ルーセラン、北バプテスト、南バプテスト等、古い由緒の比較的大きい教派も加えられるようになっている。これらメインラインの教会は近年教勢が停滞し、ないしは低下している。一方、エヴァンジェリカル、ホーリネス、ペンテコスタル、ファンダメンタリスト等は教勢を伸ばしていると言われる。福音派においては「教会成長」(チャーチ・グロウス)が強調されている。成長がエヴァンジェリカルの正しさを示し、自由派が間違っていることを証明していると言われるが、当たっている面と当たっていない面がある。すなわち、WCC派は福音派が大事にする回心者や改宗者の獲得を重視せず、成熟した人類社会の中で対話し、証しを立てて行くことが大事だという考えになって来ているからである。

 ただし、メインライン・チャーチの中にもエヴァンジェリカルに近い人は少なからずいる。

 エヴァンジェリカリズムの源流としては@宗教改革、特にカルヴィニズムの伝統を継ぐ者(オーソドックソ・プレズビテリアン)、Aウェズリーの流れを汲む者(ナザレン)、Bホーリネス・ペンテコスタル(アッセンブリー・オヴ・ゴッド)、C反文化的教派(福音的クェーカー、メンノナイト)、Dアフリカ系アメリカ人の福音証言の運動、E南部バプテストの指導下にある白人福音派、Fディスペンセーショナリズム、千年王国説、G独立のファンダメンタリストなどがある。それらの流れが融合したわけでもない。

 このようにアメリカにおける福音派は複合的であり、流動し、変容するので、その性格を単純に叙述することは殆ど不可能である。

 4)ディスペンセーショナリズムの影響

 ディスペンセーションとは時代配分を意味する。古くはイレネウスにあり、契約神学のコッツェウスにもあるが、イギリスのジョン・ネルソン・ダービー(1800-1882)が1830年代に唱え始め、リヴァイヴァルを起こし、1870年代にアメリカで拡がった聖書解釈法。ダービーの説では、イスラエルの時代にはアダム、モーセ、ダビデの三つの契約を通じて地上におけるメシヤ王国についての神の計画が示された。しかし、メシヤが来臨した時イスラエルはこれを拒否したので、神は異邦人を新しい神の民、教会として選び、神の国の到来を遅らせ、大いなる艱難、アンチクリストと偽預言者の出現、ハルマゲドンの戦い、キリストの再臨、サタンの捕縛、千年王国の実現を経て最終の王国が成就すると考えた。この区分については同調者の間でも異論がある。この派のスコフィールド(1843-1921)の引照聖書は広く用いられる。彼によれば、ディスペンセーションは七つの段階になる。@罪を知らぬ時期(創世記1:28-3:13)、A罪を知る良心の時期(創世記3:23-7:23)、B人間的支配の時期(創世記8:20-11:9)、C約束(創世記12:1- 出エジプト19:8) 、D律法(出エジプト19:8- マタイ27:53)、E恩寵(マタイ27:35,ヨハネ1:17) 、F艱難前の喜び、大いなる艱難、キリストの再臨、千年王国の樹立(エペソ1:10, ダニエル9:20-27,ヨハネの黙示録20:21)。

 5)ロザンヌ会議

 1966年にベルリンでワールド・コングレス・オン・エヴァンジェリズムが開かれ、福音派の世界的な繋りが始まり、1974年スイスのロザンヌで、インターナショナル・コングレス・オン・ワールド・エヴァンジェリゼーションが開かれて、三千七百名の参加者があった。会議は15項目からなるロザンヌ・カヴェナント(誓約)を採択した。在来の福音派の社会的無関心を克服しようとする線も打ち出された。国際的援助活動もするようになっている。反知性的な性格を払拭しようとの努力もある。

 福音派の新しい動向を打ち出したと言われるが、その結果が福音派の大勢に影響するかどうかは分からない。

 6)WCC派と福音派は一致出来るか                       

宣教概念、教理において開きが大き過ぎるので、安易な観測は出来ない。

 しかし、WCC派の中に福音派に理解を示す人もいる。福音派の中に若い人のうちに学問的に福音派の弱点を克服しようとする人が出てきている。伝道学の分野での協力関係を作っている人もいる。

 

II.カリスマ運動とペンテコステ派

* A. Piepkorn : Profiles in Belief, Vol.III, Holiness and Pentecostal.1979.  

* W.J.Hollenweger : The Pentecostals.1972.                  

* S.M.Burgess/G.B.McGee (ed.): Dictionary of Pentecostal and Charismatic Movement.1988.

                                                  1)ペンテコステ教会とペンテコステ運動

ペンテコステ教会や運動の起源はホーリネス派にあり、この派の起源はさらにウェズレーのメソジスト運動に溯る。すなわち、回心が強調され、回心後の聖化された生活が要求される。ペンテコステ派では回心後の聖霊によるバプテスマを強調する。さらに、聖霊を受けた徴しとしての神癒、異言を評価する。千年王国の気分も濃厚である。

 教理的にはメソジストからの出自であるから、それを踏襲するが、次第に教理条項の意義は後退し、回心の強調は扇情的にすらなる。

 ペンテコステ派からペンテコステ運動が派生するのは第二次大戦後である。ペンテコステ運動は教会を建てず、既成教会の中に留まって運動を進めて行く。したがって、各派にまたがっている。運動体であるから実体を統計的に把握することは困難である。既成教会から脱退するケース、また除名されるケースはあるが例外的である。

 ペンテコステ運動は従来のホーリネス系のみでなく、カトリック、聖公会、長老派、改革派、ルーテル教会、バプテスト、福音派等、全てのプロテスタント教会に及んでいる。カリスマ運動とも称せられる。

 2)ホーリネス派とアズサ・ストリートのペンテコステ運動             

ホーリネス運動は1825年頃からアメリカ・メソジストの牧師メリットによってメソジスト教会の中で行なわれる。その一部が60年にメソジストから除名されたフリーメソジストである。ホーリネス運動に加盟している教会は、1890年代になってメソジストから独立した。ナザレン派もこの系統である。

 ペンテコステ運動がホーリネス派の中に起こったのは1901年から1906年の間である。主唱者チャールズ・パーハムはリウマチ痛を神癒で癒す経験を持つ。メソジストの牧師になり、ホーリネスに変わる。「後の雨」が聖霊の降臨の約束であると解釈し、神癒と異言を実践し(1901年1月1日の夜の集会で、アグネス・オズマンが最初の異言を語る)、「使徒的信仰」を主張する。その教えの要点は救いの三段階である。すなわち、@回心、A聖化、B聖霊のバプテスマ(異言を伴う)である。

 その弟子セイモアに指導権が移り、1906年からロス・アンジェルスのアズサ・ストリート312 番地がそのセンターになる。全米と第三世界に拡がる。1910年代にホーリネスから自立する。1910年にセイモアの力は急速に弱まる。

 自立して行くペンテコステ派ではファンダメンタリズムの思考を取り入れる。オラル・ロバーツ、デイヴィッド・デュ・プレッシス(1905-1987)が指導者になるが、後者は1962年、WCCと交流があるというのでアッセンブリー・オヴ・ゴッドから除名され、カリスマ運動の指導者となる。熱心なエキュメニズムの擁護者であり、彼を通じてWCC関係の教会にカリスマ運動の強い感化が及んだ。

 オラル・ロバーツ(1918- ) はペンテコステ派の牧師の子として生まれたが、そこから抜け出そうと努力するうちに回心と結核からの神癒を経験して、ペンテコスタル・ホーリネス・チャーチの牧師となり、大きい影響力を持つようになる。1960年オラル・ロバーツ大学を建設する。1968年ロバーツはペンテコスタル・ホーリネス教会を脱会してメソジスト教会に入り、メソジスト教会の中でカリスマ運動を続ける。

 なお、ホーリネス系の運動の中には、信仰によって肉体の健康と経済の豊かさが与えられると主張する運動もある。

 3)カリスマ運動の特色                             

カリスマ運動が新しくなって、浸透し始めたのは1960年以降である。既成のキリスト教会において教勢低下と無気力化が起こり、社会的弱者や脱落者、精神的に病気の傾向ある者が増大して行くのに対応出来ない時、この運動がそれを解決すると期待されたからである。

 カリスマ運動がある程度の拡大を見、この運動に対する教会内の弾圧がなく、むしろ好意的な理解さえあるのは、聖霊の教理が重要であり、しかも今日まで重視されていなかった事情がある。しかし、カリスマ運動は聖霊の齎らす賜物は強調するが、聖霊の教理を明らかにしたとは言えない。

 カリスマ運動における神癒の強調は1947年、聖公会を主とする医療奉仕団体「医師聖ルカ会」が初代教会の癒しの復興を考えたことに始まる。癒しの問題を信仰の問題として考えようとする人が少しずつ増える。1960年にアメリカ聖公会のデニス・ベネットの指導のもとに百人以上の者が異言を語り始める。

 主張として全般的には聖書に帰れ!を強調する。聖書の中で在来の教会が読み落とし、あるいは故意に避けて来た聖霊の賜物による奇跡が強調される。聖霊の賜物を受けるためには聖霊のバプテスマを受けねばならない。聖霊を受けたことの現われとして強調されるのは異言である。癒しは必ずしも成功していない。

 各教派の中で営まれるカリスマ運動、カリスマティック・リヴァイヴァルでは、教会が伝統的に持って来たリタージー、サクラメントを重視する。聖霊によってリタージーを活性化しようとの意図がある。

 カリスマ派が聖霊のバプテスマを受けたとして誇るのは、他のキリスト教を差別するのではないかと批判されるが、これまで劣等感を持っていた人たちが、このことで自信を取り戻すという効果がある。

                                        

III.ファンダメンタリズム                             

* A. Piepkorn : Profiles in Belief.Vol.IV,Evangelical,Fundamentalist,and other Christian Bodies,1979.

* The Fundamentals.The Famous Sourcebook of Foundational Biblical Truths (Reprint)

* J.Barr : Fundamentalism,1977.

* J.I.Packer : "Fundamentalism" and the Word of God.1958.           

* J.R.W.Stott : Fundamentalism and Evangelism.1956.              

* J.G.Machen : Christianity and Liberarism.1923.               

* C.Van Til : The New Modernism.1947.                                                             

1)諸宗教の共通現象                              

ファンダメンタリズムはかつて根本主義と訳されたが、今日では原理主義と訳されることが多い。この用語は初めキリスト教のものであったが、最近では各宗教に共通に見られることが論じられている。最も顕著なのはイスラムのそれであって、非常に偏狭で戦闘的である。

 したがって、ファンダメンタリズムは神学的問題ではなく、宗教社会学ないし社会学・社会心理学の問題として扱われるようになった。神学問題としてのファンダメンタリズムは保守神学、反理性主義の問題の中にほぼ解消する。ファンダメンタリズムを掲げる人の間にもさまざまの相違があり、評価も時代とともに変わって来る。ファンダメンタリスティックな傾向について論じることは容易であるが、ファンダメンタリズムの実体を把握することは困難である。

 単に保守的エヴァンジェリカルズに過ぎぬものをファンダメンタルズとして扱う向きがあるが正しくない。少なくとも今日ははっきりしているのであるから、対象を取り違えないようにしたい。

2)初期ファンダメンタリズム                          

根本主義と近代主義の争いはとくにアメリカ的現象である。ファンダメンタリズムが敵と見たのは聖書批判と進化論である。

 神学的にはプリンストン神学のチャールズ・ホッジ、ベンジャミン・ウォーフィールドの聖書論に多くを負っていると言われるが、プリンストンから別れてウェストミンスター神学校を建てたメイチェンが大きい影響力を持った。

 神学的に最も重視する点は聖書の霊感であり、それに伴って、そこから発展した聖書無謬の主張がある。この発想は17世紀の改革派の一部にあり、「スイス一致信条」の中に形を取った。神学者としてはフランソワ・トゥレッティーニ(1623-1687)(その著Institutio theologiae elencticae.1679/85 は19世紀にはプリンストン神学校の教科書であった)、ホッジ、ウォーフィールドの聖書論が標準的典拠とされる。ただし、それが熟読されているわけでもない。

 1910年から1915年にかけて「ザ・ファンダメンタルズ:真理の証し」という12冊のパンフレットが刊行された。キリスト教の基本的な信仰を守ろうとするものである。書物自体は神学的にしっかりしたもので、ファンダメンタリズムの宣伝をしたものではない。これが実業家の援助で多くの牧師・伝道者・宣教師・日曜学校校長に無料で配布され、大きい影響を与えた。合計三百万冊発行された。これがファンダメンタリズムの名称の起こりである。

 1920年代にファンダメンタリスト/モダニスト論争が起こる。長老派のみでなく、バプテスト、ディサイプルズ・オヴ・クライストの中にも激しくなる。1930年以後は教派が分裂して論争は沈静する。

 その主張の要点は@聖書の霊感、あるいは無謬性、A処女降誕、B代理贖罪、Cキリストの肉体をもっての再臨、D接近した可視的再臨、の五つであると主張される。この五点に関しては別の数え方もある(@聖書の無謬、Aキリストの神性、B処女降誕、C代理贖罪、Dキリストの肉体の復活と肉体をもっての再臨)。ただし、上記の書物はその五点だけを論じたものではない。

 ファンダメンタリズムは、近代主義に対しては仮借のない攻撃を加えた。政治的に保守主義であり、共産主義に反対する。対外援助にも反対する。RSV聖書の使用にも反対する。彼らの用いるのはKJVである。(穏健な保守派はNIVを用いる)。最も特徴ある戦闘的人物はカール・マッキンタイア(1906- ) である。ファンダメンタリストの組織としては、1941年に結成されたアメリアン・カウンシル・オヴ・クリスチャン・チャーチがある。

3)ファンダメンタリズムのオーソドクシーへの回帰

 第二次大戦後ファンダメンタリズムの中から反知性主義への反省が生じ、神学校が変わり始める。代表的なのは、ハロルド・ジョン・オケンガ(1905-1985)とフラー神学校である。聖書の霊感だけに固執していた聖書学者の間から、学問的に高度な註解書や研究書が出始めている。

 しかし、極端なファンダメンタルズはそこから分裂し、強力な伝道活動を続けており、アメリカの保守政治の支えになっている。

 その人たちの拠り所とする神学は19世紀あるいはそれ以前のもので、それらは今日もリプリントされている。

IV.宗教多元主義                                 

* M.M.Thomas:Risking Christ for Christ's Sake.Towards an Ecumenical Theology of Pluralism.1987.WCC.                           

* WCC.Guideline on Dialogue with People of Living Faiths and Ideologies.1979

* H.Kueng et al. : Christianity and the World Religions;Paths of Dialogue with Islam, Hinduism, and Buddhism.1986.                  

* L.Newbigin : The Gospel in a Pluralist Society.1989.

 1)エキュメニズムからの発展

キリスト教における在来の考え方は一元的なものであった。この思考は他者を排除することによって一致を保とうとするものであって、ローマ・カトリックのように、ローマ教皇という中心に帰順させることによって世界統一を目指すか、プロテスタント各派のように世界統一を放棄して、一国あるいは一種族の中に一致を限定するかを選ばなければならなかった。しかし、どちらも一致に関しては行き詰まっていた。

 エキュメニズムは超越する原理による統一でなく、実際的な対話を原理として一致を見出そうとして来た。自己の立場を相対化する対話によって、相手を知るだけでなく自己を発見し、両者の間の差異を乗り越えることが出来ると考えた。

 他者との対話としてエキュメニズムの中でなされた努力の一つは共産主義との対話であり、もう一つは他宗教との対話であった。共産主義との対話は現実に共産主義政権のもとに教会があり、キリスト者がいるという事実から必要が感ぜられた。この対話は十分な実りを得ないうちに共産主義政権そのものが崩壊し、対話の幕が下りた。時間稼ぎ以上の意味があったかどうかを問われるようになっている。解放の神学はこの対話に触発されたと見て良いであろう。他宗教との対話はキリスト教の世界伝道が直面する最大の問題としての他宗教を、征服の対象とせずに対応する努力であった。

 他宗教を認めることはキリスト教を信じることの意味を危うくする。そこで考えられた道は、(1)キリスト教の脱宗教化、あるいは宗教化した19世紀キリスト教を徹底的に批判してキリストそのものに向かう(バルト=ボンヘッファー)、(2)諸宗教をキリストに来る途上のものと認めること(カトリックの宗教研究の一般的傾向)であった。今日の宗教多元主義は諸宗教を認めつつキリストの独一性を強調しようとする。

 2)プラグマティズムの哲学                           

存在そのものを考え、本質を追求する古典的哲学に対し、ウィリアム・ジェームズの哲学はプラグマティックに事物を考察する。これは思想ではなく実用性のみの追求であると批評されたことがあるが、ここには古典的哲学と異なる思想がある。これを思想として評価し、尊重することは必要であろう。

 この思想は各人がそれぞれの立場を持つことを認める多元主義である。一元主義のもとでは異質のものを除外し、同一系列の中でも優劣をつけるが、多元主義ではそれはなくなる。

 多元主義がこの世界で持つ意義は大きい。この原理で解釈された方が世界はよく分かると言えよう。少なくとも民主主義的な社会はこの哲学に立たないと、民主的という言葉は空疎なものとして終わるほかないであろう。しかし、キリスト教的真理が多元主義的に解釈されるかどうか。その原理でキリスト教的教理が成立し、教えられるか。最も具体的に言えば、教義学を構成することが出来るかどうかである。多元主義を押し付けることによって啓示の真理が見失われる。この限界を見なければならない。

 3)諸宗教との対話                               

19世紀に至るまで、欧米のキリスト教は他宗教に対し優越感を持った。その優越感が20世紀になって崩れ始める。欧州大戦によって、白色人種の優越は崩壊し、ヨーロッパ文明の優越性も怪しくなり、ヨーロッパ・キリスト教の優越も吟味し直されるようになった。

 宗教性というものを前提として宗教間の対話が成立する。しかし、宗教性という価値があるのか。初期のバルト神学によってそのようなものは否定されたのである。その否定をもう一度もとに戻す神学作業はなされていない。非常に安易に宗教の神学という言葉が使われるようになった。

 対話が成り立つのは理論化・思想化の進んだ宗教の間である。所謂原始宗教とは対話は成り立たず、反発もしくは吸収が行なわれる。

 カトリックにおいては伝道の必要上諸宗教の研究が精力的に行なわれた。カトリックは諸宗教をある程度肯定的に見る。キリストに至る途上というふうに見るのである。これは対話ではなく取り込みである。

 i)他宗教との対話として最も進んでいるのはユダヤ教との対話である。これには長い歴史がある。だが、キリスト教の多くの人が意識的にこれを取り上げるようになったのは第二次大戦後である。すなわち、ナチスによるユダヤ人虐殺と、大半のキリスト者が彼らを見殺しにしたのは、キリスト教の中に古くからあるアンチ・セミティズムであり、それを取り除かなければならないと多くのクリスチャンは考えたのである。

 ユダヤ教の側にもキリスト教との対話に応じようとする人々はいた。マルチン・ブーバーはその先駆者である。

 この対話は今日大いに進み、旧約聖書の共同研究がなされている。アメリカのような国ではユダヤ教はシヴィル・レリジオンの位置を獲得した。

 ii) イスラム圏はキリスト教伝道の最も困難な地域であるから、早くからイスラム研究が伝道学の課題としてなされていた。イスラム教も一神教であり、コーランには聖書から引いたものが多いから対話に入る手掛かりはあると見られる。

 しかし、現実の問題としてイスラムとの対話は非常に困難である。一つの理由は先方の閉鎖性・排他性である。

 iii)インド教・仏教との対話。多元主義の発想をしたトマスはインド人キリスト者として(マル・トマ教会)の経験を踏まえてのことであろうが、その対話は現実に成り立つかどうか。

 iv) 中国の宗教。中国の宗教のうち思想的に発達したもの、儒教については対話が可能である。しかし、道教は別の構造を持つ。

 v)原始宗教との関わり。今日まだ文字を持たず、あるいは伝統文化を文字化し終えていない民族がある。その宗教との対話はなされていないが、その宗教の世界の中に生きている人間との対話はなされている。これらの民族においては、聖書的語彙を訳すべき語彙がない場合が少なくない。一つの解決として、彼らの文化の中における相当語を当てる。もう一つの試みとして概念の図形化がある。

 

 4)対話はどこへ行くか                             

他者との対話を通じて自己発見があることは確かである。それが自己のアイデンティティーの確立に役立つが、自己のアイデンティティーのために他者との対話を利用することがつねに可能とは言えない。対話ならば相互の益が了解事項になっていなければならな い。対話するうちに混合宗教になる恐れが大きいのではないか。

 イエス・キリストの啓示の独一性をどうして確保するかが重要である。

 日本の教会の必要としているのは、WCC路線の模倣としての諸宗教の対話でなく、市民の間での対話ではないか。


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