神学校のクラスルームをのぞいてみよう

東京キリスト教学園(東京基督教大学、東京基督神学校、共立基督教研究所)の、過去の「入学案内」より転載


(一般教養科目)

「キリスト教世界観」(丸山忠孝)


「わたしはだれ」か「はじめに神」か

「世界観」を一言で表現すれば、人が世界をどう観るかについての学びです。普通、まず人が自分とはなにかを知り、次に自分以外の世界を知ります。

この自分以外の世界には、科学でわかることばかりではなく、今日、宗教とか霊と呼ばれることも含まれる場合があります。

 最近、日本のある生命保険会社のシンクタンクが高校生を村象に調査したところによれば、60%以上が「世の中には科学ではわからないことがある」と答え、霊を信じるが50%、UFOがあるが男子40%、女子28%だそうです。

 このように、人が自分と自分以外の世界を全体として知ろうとする学びが世界観といえます。ところが、かりに世界観を「人」、「世界」、「神」の全体を観ようとする学びとしますと、そこに2つの大きくちがったアプローチがあることに気付きます。1つは「人」からはじめて、「人…世界…神」と進むもの、もう1つは神から始めて、「神…世界…人」と観るものです。

 最近の話題作町ソフイーの世界』では、主人公が鏡に向かって「わたしはだれ」とたずねるところから物語が始まります。世界とか神とかを問う前に、それらと無関係な自分から問い始めます。これが近世の哲学として今日、世界観とよばれるものの一般的なかたちです。

 ところが、キリスト教世界観は聖書にづいて人、世界、神を観るため、もう1つのアプローチを提示します。聖書の冒頭に「はじめに神」とあり、その神が世界を、人を創ったのですから「神…世界…人」のかたちです。しかも、人は「神のかたち」に創られたことから、人が神から始める世界観をもつことができるのです。

「はじめに神」の世界観が「わたしはだれ」の世界観からどれほど違うかを学ぶこと、それがキリスト教世界観の第一歩です。

「超越」の世界覿と「内在」の世界観

 世界観が直面する最初の問題は、「人」や「神」との対比において、現実の「世界」(宇宙)が想像もできないほど、とてつもなく巨大なことです。

 96年3月末に地球に大接近した百武すい星は1万年から2万年の周期で太陽の周りを回っています。太陽系はそれほど巨大なのですが、その太陽でも天の川と呼ばれる銀河を構成する千億個の星々の1つにしかすぎません。そして、端から端まで光の速さで横切るのに10万年かかる天の川ですら、そのはるかかなたにある100万個の類似する星系のなかの一つの銀河にすぎないのです。さらに、その宇宙が秒速26万キロを超えるスピードで膨張しているのです。

 このように理解を越える巨大を前にして、神をどのように理解し、ちっぽけな人をどのように観たらよいのでしょうか。ここでも、基本的には市岡のような2つのアプローチがあります。

 A図はキリスト教世界観を図示したものです.神は巨大な世界を創ったので世界より大きい円で表わされ、また、世界から区別された存在です。神と世界との間の横線は、神が世界から超越していることを示しています。キリスト教の外には、ユダヤ教、イスラム教がこのような唯一紳の世界観をもっています。

 B図は、今日の日本のように八百万の神々がいると信じられている国、また、科学的な観方をもっている人々のあいだでポピュラーな世界観です.結局、巨大な世界の中に自然も神々も人も内に抱き込んでしまうため、神の内在を強調する世界観です。世界=神とする無心論、神々は人間の意識の投影にすぎないとする快方、そして唯一神教以外の諸宗教は仏教、ヒンヅー教、ゾロアスター教を含めてこの世界観に立ちます。

 B図の内在的世界観では世界がどのようにして始まったかを鋭明することはひと仕事です。ホーキングやビレンケンのような大学者がA図の「神」を抜きにした宇宙論を立てて、「無からの出発」、「虚から実の世界が生まれる」としました.東京大学の佐藤勝彦教授は、「おとぎ話のように聞こえるかもしれないけど、砂粒よりはるかに小さい宇宙のたねが、芽を出しどんどん、すごく短い時間で大きくなって…宇宙になった」と税明しています。

 このようにマザー・ユニバースが宇宙を生んだとか、「母なる自然」として自然=神々とする宗教では、世界は人間にやさしかったり、やすらぎを与えてくれると考えます。時には、ちっぼけな人間のために世界はあるなどと考える者もいましょう。

 さて、A図のように神の超越を強調するだけでキリスト教世界観を十分に説明したことにはなりません。なぜなら、この世界観は神の超越性と内在性を同時に強調するからです。これを図にしますとC図となります。

 神と世界を区別する横線に加え、神から世界と人への下降線と世界と人から神への上昇線があります。上下の線は、神が創られた世界を直接支配され、とりわけ、神のかたちに創られた人に関心を持ち、交わりをされること、また、世界は神の栄光をあらわし、人は神と交わり、祈ることができることを示します。神と人、人と神との人格的な交わり、愛の関係が可能となります。

「それでは、どのように生きるのか」

 世界観は神、世界をどのように観るか、から始まるのですが、最終的な目的は観ている自分の生き方、人生観がどうあるか、です.C図とB図の世界観では「どのように生きるのか」との問いへの答えは大いに異なるはずです。

 この点を、1年間を通して一緒に考えていきます.聖書の創造の教え、旧約聖書の律法と預言者、新約聖書の主イエスと使徒の教え、そして2千年の教会の歴史からキリスト教世界観を学び、一人一人の生き方を見直します。

 今日のように混乱している時代では、なにもかもバラバラに見えます。しかし、キリスト教世界観はいつの時代でも統一された、バランスの取れた「神一世界一人」の観方を提供しています.そして、それをもって私たちのまわりにある多くの世界観に対して挑戦してみようではありませんか。


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