神学校のクラスルームをのぞいてみよう

東京キリスト教学園(東京基督教大学、東京基督神学校、共立基督教研究所)の、過去の「入学案内」より転載


(専門科目)

「異文化理解」って何だろう?


 国際キリスト教学科では、「異文化理解」に強調点がおかれています。

宣教の内容を取り扱う福音主義神学の学びとともに、宣教の対象である「人々」をよりよく理解するための学びが必要です。それは、さまざまな社会的・文化的背景にある人々に適切に伝達し、届いて行くためのものです。

「違い」を見つめる

 私たちが異文化のなかで生活するとき、その人々は私たちと違うということを、私たちは当然のごとく知ります。単に肌の色の違いだけでなく、言葉や生活習慣、ものの見方や考え方が自分たちとは異なることを見るのです。

これらのことをできる限り知ってゆくことが、人と人とをよりよく結びつけることとなるのです。

 言葉は、コミュニケーションの手段ですが、同時にその文化の性格や特徴を反映しています。言葉を覚えていくとき、私たちはその古典のもつ意味合いや文法、その表現方法にその文化の一面を垣間見ているのです。

国際キリスト教学科の徹底的な英語訓練と米国における英語研修や中・韓・タイ語などの多様な言語学習は、豊かな語学力を身につけるだけでなく、それぞれの文化的センスの一端に触れる機会でもあるのです。

 異なった文化にある人々に接するとき、私たちは容易にその人を自分たちの基準や価値観・ものの見方で判断してしまいます。そして、私たちの基準に合わないと、彼らは間遠っている、それは劣等なことであると決めつけてしまいがちです。これこそ、「隔ての壁」を築き上げる態度と言わねばなりません。何故、彼らはそのように考えるのか、どうしてあのような態度や行動を取るのか、また、それがそこで人と人とをどう結び合わせているのかに、まず目を止め理解する必要があるのです。これが異文化理解の基本です。

3年次の「異文化実習」によって、このことを実際に体験することでしょう。

勿論、その文化のすべてを肯定し受け入れるわけではありませんが、まず、自分たちが謙虚になって、相手を神に造られた者として尊敬し、彼らの地点に立つことが出発点なのです。

 それを知る学びが、「文化人類学」や「中・韓・日・米国文化論」です。また、より広くそれらの人々を知るためには、それぞれの国や地域の歴史的変遷や政治的・社会的状況も併せて見る必要が出てきます。しかも、21世紀に向かって世界はますます国際化が進み、一国や自分たちだけで物事を考えることはもはやできないのが現状です。ですから、「国際関係論」や「地域研究」といった学びが必要となるのです。「比較文明論」、「東・東南アジア概説」、「国際社会と日本」といった科目もこれにあたります。さらに、宣教という観点からみると、その地域の社会と宗教との関わりや、文化との関係も問題となり、異文化間コミュニケーションが重要となってきます。異文化理解を学ぶと、その文化的表れ方や社会的な習慣の多様性に目が開かれるとともに、どの文化の人々にも等しく必要なものが何であるのか、より一層リアルになってくるのです。

「違い」を豊かさに

 異文化にある人々を知ってゆくことは、自分自身をより客観的に知る機会ともなります。私たちが海外で生活すると、当然と思っていたことが実は

日本の文化や習慣であって、美徳と思われていたことが、そこでは逆のことと理解されることがあることを知ります。例えば、子供の頭を撫でることが、日本ではその子を可愛がる動作であっても、ある国では、それは子どもを侮辱する動作と理解されるのです。そこで、文化概念や人々のものの見方や価値観という視点を学ぶことによって、私たちは自分たちの文化や社会をより客観的に見つめ直すことができ、その理解の仕方が広げられ、また、深まることとなるのです。異文化理解の視点を身につけることは、私たちが日本で奉仕するときでさえ、日本とその人々の理解にとても役立つのです。

 異文化理解は、実は聖書の理解を広げ探めるのです。神のことばである聖書は、歴史的・文化的背景のなかで、神ご自身の御旨がことばと行為によってあらわされたものです。旧約聖書は古代オリエント文化を、また、新約聖書はギリシャ・ローマ文化をその背景に持っています。神は神の民であるイスラエルや教会に、その文化様式や槻念を用いて、彼らにその御旨を伝達され、また、彼らを用いて文化を変革されたのです。さらに、御子イエス・キリストは、私たちと同じ人となられて救いのみわざを成し遂げられました。

御子キリストは神という在り方に固執せず、へりくだって私たちと同じ特定の時代と文化的背景のなかで生きる人間となられて、さまさまな必要をもつ人々を深く憐れまれ、神の救いをことばと行いであらわされました。受肉こそ異文化理解と伝達の具現化と言えるでしょう。ですから、ヘブル語やギリシャ語を知り、その時代の歴史的・文化的背景に迫ることは、異文化理解の視点をもつことであり、神が御旨をあらわされた人々と同じ土俵に、より近く私たちが立つことを意味します。また、主イエスの受肉とその意味を知ることは、福音の異文化間コミュニケーションを深めることになるのです。宣教学は、「福音と文化」という領域をキリスト教宣教という視点から取り扱いますが、異文化理解はその大切な素地なのです。

 21世紀に向かい、通信網の発展と整備によって、世界のあらゆる情報に国境を越えてアクセスが可能となるボーダーレス時代が到来し、また、色々な図の人々の地球規模の交流によって、文化や習慣の違う人々が一緒に生活するモザイク社会が形成されています。在日外国人や在外日本人の増加という現実は、世界宣教への私たちに対するチャレンジです。あなたもこのチャレンジに応えて、国際キリスト学科で異文化理解と国際的なセンスを身につけ福音的信仰に立ってさまぎまな分野や領域で世界宣教を担う奉仕者となりませんか。


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