海老名弾正の墓
1856―1937年.日本組合基督教会牧師,同志社総長,キリスト教思想家.熊本洋学校に学び,信仰に入る.[+]熊本バンドの一員.同志社を卒業後,安中教会を初め各地で伝道.後,東京で本郷教会を育てる.その間,*組合派の日本基督伝道会社社長,同志社総長などを歴任.雄弁な説教者・キリスト教思想家として,広く影響を与えた.また月刊誌「新人」を刊行し,政治・社会・文化の多方面に論陣を張った.その神学説は*自由主義的で,キリストの神性を認めなかったため,*植村正久との間に「福音主義論争」が起きた.神道的キリスト教を唱え,対外戦争を擁護するなど,海老名の思想にはキリスト教と日本精神の癒着が著しい.→日本の教会史,日本の宣教史.(小野静雄)
(いのちのことば社の「新キリスト教辞典」より引用)
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