『福音を伝える人々』

牧師 広瀬 薫

ローマ人への手紙10章9〜15節

 今日は、アメリカからの6人の韓国系アメリカ人の伝道チームをお迎えして、共に神様を礼拝できま すことを感謝致します。

 この宣教旅行の企画は、クレシス・ミッション(KLESIS MISSION)と名付けられたものですが、昨 年に続いて今年が2回目だそうです。この兄弟姉妹達は、ずいぶん前からこのために祈り、自分達で費 用をため、備えて、はるばる日本に来て下さったのだと伺いました。

 何のために、そのような労を払って、海外にまで宣教に旅行するのでしょうか。

 実は二千年前の初代教会の時から、クリスチャン達は国外宣教に一生懸命でした。例えば使徒パウロ がそうでした。

 今日は、先程お読みしたパウロの手紙の御言葉を通して、遠く離れた地にまで宣教に行くことの意 味、特にその尊さということを考えておきたいと思います。

 今日の箇所で聖書は言っています。

 10章15節後半『「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」』

 「なんと立派でしょう」・・・口語訳では、「ああ、麗しいかな…」・・・文語訳では、「ああ 美しきかな」

 良いことの知らせとは、イエス・キリストによる救いの福音のことです。それを伝える人々の足は、 何と立派で麗しく美しいことか、というのです。

 しかしもちろん聖書は足のことを言っているのではありません。どんな足が美しいか、足の品評会を しているのではないのです。

これは足を実際に運んでの福音宣教の働き・そういう人の人生の価値のことを言っているわけです。で は、何故それは、立派で麗しくて美しいと言われるのでしょうか。

1、第一に、彼らは「良いことの知らせ」つまり救いの福音を伝えるからです。

 聖書はなぜ立派だというのか、それはその働きが、人を滅びから永遠の命へと導く、この上なく尊い 救いの福音に関係しているからです。

 ではその福音とは、どのような内容のものなのでしょうか。

 それが9〜10節に書かれています。

 ローマ人への手紙10章9〜10節 『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなた の心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるか らです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』

 これがキリスト教の救いの方法です。神様が定められたやり方です。彼ら伝道チームが携えて来た福 音です。 単純です。簡単です。これが福音のエッセンスです。

 さてでは、この救いの福音は今どこにあるのでしょうか。

…誰か特別の人が持っているのでしょうか。どこか遠い国にあるのでしょうか。それとも何か特別な修 行をつまなければ悟れない奥義のようなものなのでしょうか。

 聖書はそうではない、というのです。8節をご覧下さい。

 ローマ人への手紙10章8節 『では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにあ る。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのこ とです。』

 つまり、救いというのは、私達のすぐ近く、口の中くらいに近いところにある、と聖書は言うので す。

 口の中にあるものを自分のものにするにはどうしたらよいでしょうか。

 決心して飲み込めば良いのです。そうすればそれは私達を生かす命となるのです。

 これが神様が備えて下さった「良いことの知らせ」でした。パウロが知らせた「良いことの知らせ」 でした。この伝道チームが伝えに来たのも、全く同じ「良いことの知らせ」でした。

2、けれども、この知らせが今私達のすぐ「近くにある」ようになったのは何故なのでしょう か。

 それは「宣べ伝える人」の働きのおかげです。

 ローマ人への手紙10章14節 『しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることがで きるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人が なくて、どうして聞くことができるでしょう。』

とある通り、宣べ伝える人々があってこそ、私達の近くに今福音があるのでしょう。

皆さんの中で誰一人、「私は誰からも福音を伝えてもらわなかった、ただ自分で考え出して、自分で信 じた」と言える方はおられないはずです。

 ローマ人への手紙10章17節 『そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリス トについてのみことばによるのです。』

とある通りです。

 救いというのは、イエス・キリストによる救いの実現があり、その知らせを担う伝道者・説教者の働 きがあり、それを人々が聞き、そして信じ、そしてようやく救いはその人のものになるわけです。

 ですから、福音宣教の尊さの第二の理由は、それが福音を人々のもとに実際に届けるからです。

 私達は、自分で救いを作り出すことはできません。すでにキリストによって作り出された救いを伝え られて、頂くだけなのです。二千年間いつも福音を伝える人々がいて、そのようにして救いが今や全世 界に広がっているわけです。

 福音宣教というのは、神様のこの尊い救いの福音を伝える仕事です。だから聖書は、これを立派であ り、麗しく、美しい働きである、そのような尊い人生であり存在であると言っているのです。

3、ところで、そのようにしてパウロが福音を伝えた時、何が起きたのでしょうか。

 皆、「これは素晴らしい福音だ」と言って信じたのでしょうか。

 いいえ、そうではありませんでした。

 ローマ人への手紙10章16節 『しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主 よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。』

とあるように、何と言うことでしょう、聞いても信じない人々が沢山いたのです。迫害する人もいまし た。

 彼らは福音を知らなかったのでしょうか。

 いいえ、そうではありませんでした。

 ローマ人への手紙10章18節 『でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったの でしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果 てまで届いた。」』

 福音は全世界に伝えられたのに、人々はそれを拒んだ、その責任は拒んだ人の方にあるというわけで す。

 では、彼らはだめだというのでしょうか。

 いいえ、そうではありません。

 ローマ人への手紙10章21節 『またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反 抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」』

 これが神様のご愛です。

 神様は、信じない人々に対して、「一日中、手を差し伸べ」て待っておられるのです。

 ですから、そういう神様を知るパウロは、このローマ人への手紙第10章のはじめで何と言っていたか というと、

ローマ人への手紙10章1節 『兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めて いるのは、彼らの救われることです。』

 パウロは、神を信じない人々について、その滅びを願ったのではありませんでした。

その懲らしめを願ったのでもありませんでした。迫害する者との仲直りを願ったのでもなかったので す。まず、彼らの救われること、これをパウロは願っていたわけです。

 福音宣教の尊さの第三の理由は、それが、滅び行く人々を救いに導こうとする神様の愛に根ざしてい るからです。

 今回、このチームが来たのは何のためでしょうか。願うところはパウロと同じこと・・・神様を信じ ないで、滅びに向かって生きている人が一人でも多く、救われること。

 今週で彼らは大阪に向かい、そして韓国を経由してアメリカに帰って行きますが、日本に残りここに 生きる私達は、この願いを共有して働きを担い続けていく務めがあります。・・・つまり人々が救われ ることを願って、福音を伝えること・・・それは、立派な、麗しい、美しい働きだと聖書は言うので す。

 こうして宣教の志を持つ兄弟姉妹とのしばらくの交わりを頂いて、そんな福音宣教の尊さの基本を改 めて思わされております。

祈ります。

 天の父なる神様。・・・

 先週から一週間の、このクレシス・ミッションとの主にある交わりの一時を感謝致します。

 日本に興味を感じ、また、日本のクリスチャン人口の少なさに心を動かされて、自らの財と時間を犠 牲に捧げて来た彼らの上に、どうぞ主の豊かな祝福の報いがありますように。

 彼らが日本で良き体験を得て、主のお取り扱いによる霊的成長を頂いて、喜んでアメリカに帰って行 くことができますように。

それと同時に、私達が切に願うところは、一人でも多くの日本人が救われること・・・パウロが書いて いた、「私が心の望みとし、また彼らのために願い求めているのは、彼らの救われることです」という 言葉の通りのことを、私達も我が日本人のために切に願い求めます。

 どうぞ主よ、このような宣教のみわざの一つ一つを積み重ねることを通して、私達の国日本に真実な リヴァイヴァルの時を来たらせて下さい。

 そのために、主よ、私達一人一人もまた、「良きことの知らせを伝える人々の足」を持つことが出来 ますように。福音を伝える、神様の目に立派な、麗しい、美しい使命を果たす生涯を送ることが出来ま すように、お助け下さい。

 特にこの府中の地に、そしてあの百草の地に、主よ、あなたの尊い救いの福音を満たすことが出来ま すようにお導き下さい。それを通して救われる者を、主よ、あなたが起こして下さるようにお願い致し ます。

 救い主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。


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