エホバの証人に対するJEAの立場


 アメリカから日本にもたらされたエホバの証人の活動が、キリスト教の名の下に活発に行われている現状に、JEAは無関心であることができない。エホバの証人の立場は聖書に基づくキリスト教とは言えないものだからである。

 歴史的キリスト教は普遍的基本信条−使徒信条・ニケア信条・カルケドン信条−を受け入れ、父・子・聖霊の三位一体の神、神人両性を一人格のうちに統合するイエス・キリストを告白する。この信仰の立場を全面的に否定するエホバの証人は、聖書の福音的信仰から逸脱するだけでなく、福音に正面から反対する規範や行動を顕著に示している。

 そのようなエホバの証人の人たちの神への熱心は、「(正しく解釈された聖書の)知識に基づくものでは」ない(ローマ10:2)。その最大の証拠が、エホバの証人による、イエス・キリストの神性(イエス・キリストが神であること)の否定、並びに三位一体の神の否定に見られる。

 人となられた神であるイエス・キリストが、私たちの救い主、また主として崇められ、告白され、信じられ、礼拝されるべきお方であることは、ネV約聖書全体に明確に証しされている。父なる神は、御子イエス・キリストにおいて私たちに示されている。私たちが聖書に導かれて知ることのできるまことの神は、イエス・キリストにおいて示される神にほかならない。父なる神は、御子をお遣わしになり、十字架と復活の出来事を通して救いの業を成就してくださることによって、その愛を残ることなく示された。イエス・キリストは今、復活の主として、いつも信じる者たちと共におられる。

 このイエス・キリストにおいて示された神を私たちに知らせ、イエス・キリストが私たちと共におられることを確信させてくださるお方こそ、聖霊である。聖霊は復活のイエス・キリストの御霊であり、この御霊に導かれて私たちは「イエス・キリストは主である」と告白し、イエス・キリストによって示された神の愛を私たちの心に注がれるのである。

 以上はすべて新約聖書の証言に基づくことであり、キリスト者とは、聖霊に導かれてイエス・キリストを主と告白し、キリストによって父なる神を知り、神の子どもとされる特権を与えられている者にほかならない。このような信仰に堅く立つ歴史的キリスト教の立場!からは、エホバの証人の立場は明確に《反キリスト》であり、キリスト教と見なすことはとうていできない。その反キリストとしての性格は、キリストよりも旧約のエホバを前面に押し出して、自らを「エホバの証人」と称している事実にも示されている。そこではキリストへの信仰とともに聖霊への信仰も欠落している。したがって、エホバの証人に決定的に欠けているのは三位一体の神の認識であると言わなければならない。私たちは、このことが、エホバの証人の活動の問題性の根本にある要因であると考える。

 JEAは、これまで以上に信教の自由を守る戦いを大切にしたい。宗教団体としての/エホバの証人への批判は、本来のキリスト教との識別を明確にするためのものであって、エホバの証人の人たちの信仰の自由を否定したり、人権を無視したりするためのものではない。

 JEAにかかわる諸教会・諸団体の中には、エホバの証人の活動がキリスト教の宣教活動と混同されることに危機感を覚え、その対策を真剣に考察し、実行に移しているところもある。JEAとしても、それを全体的な関心事に高め、有効な対応策を明らかにしていきたい。それにしても大切なことは、「愛に根ざし、愛に基礎を置いて」(エペソ3:17)、私たちの活動が着実に展開されていくことである。

1995年6月14日               日本福音同盟 第10回総会

                            総会議長 蔦田公義

                            理事長 舟喜信


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