第5課  あかしと奉仕について                 

※この辺で復習をかねて振り返って見ましょう。

 第1課で私達の救いの確認を学んだ後、このABCの2〜6課では、信仰生活の基本を五つ学ぼうとしています。これまで、聖書(第2課)、祈り(第3課)、礼拝(第4課)と学びを進めてきました。

 この辺でその大切な五つをまとめて確認しておきましょう。 

 私達の信仰生活が神様から祝福されるためには、次の五つのことが非常に大切です。これをそれぞれ、新しく生まれた人間の成長にたとえて説明しますと、

 @毎日聖書を読む。→霊的な糧。

 A毎日熱心に祈る。→霊的な呼吸。

 B礼拝その他の教会生活を大切にする。→霊的な家族の交わり。

 C福音を人に伝える。→霊的な運動。

 D喜んでささげる。→天のお父様(神様)中心の生活。(次の第6課で考えます)   

 このどれを欠いても、私達の信仰の成長はアンバランスになり、神様の祝福を失うことになります。

              

(注)但し気を付けて頂きたいのは、これらは「救われるため」の条件ではありません。「神様の祝福を受けて信仰生活を送るため」または「クリスチャンとして生き生きと成長するため」の条件です。                  

 この第5課では、救われて誕生した新しい命の運動と言われる「あかしと奉仕」について学びます。                      

〔1〕「あかし」について           

(1)「あかし」とは?

1---「あかし」は、私達にはなじみの薄い聖書の言葉かも知れません。「あかし」はもともと「証言」「証 人」を意味する言葉でした。使徒の働きの中でペテロ達は、イエス・キリストのことについて宣べ伝えた時、「私達は皆、そのことの証人です。」と言っています。(使徒2章32節、5章32節)                                        

2---健全な成長には、運動が大切です。あかしや奉仕は新しい命の運動です。運動抜きの栄養過多は不健康や、アレルギーや、信仰の衰えにつながります。           

3---あかしは、教会の最も大切な使命である「福音宣教」に深く関わります。(マルコ16章15節) クリスチャン全員が主イエス・キリストからこの働きに召されています。(ヨハネ15章27節) 

(2)「あかし」の内容

 マルコ5章19節で、イエス様に救われた人にイエス様はこう言われました。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたにどんなに大きなことをして下さったか、どんなにあわれんで下さったかを、知らせなさい。」 つまり、イエス様が、あなたの人生にどんなことをして下さったかを、他の人々に伝えることです。                      

(3)「あかし」の責任と特権・祝福  

                              

1---証言の責任。

 私達も他の人から福音を知らせて頂いたからこそ、今救いにあずかっています。先に救われ、真理を知った者は、まだ救いと真理を知らず、滅びの道にある人々に、福音を伝える責任があります。その目的は使徒26章16〜18節に、

1、彼らの目を開き、

2、暗闇から光に、

3、サタンの支配から神に、

4、信仰による罪の赦しを得させ、

5、御国を受け継がせる、と表現されています。

 パウロはこの務めについて、「そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。」(コリント人への手紙第一9章16節)とまで言います。

 私達は「自分が救われればもうそれでいいや」という安易な利己的な所に留まっていてはならないのです。歴史上多くのクリスチャン達は、この「あかし」に命をかけ、実際に命を落した者も数え切れません。そのため、この「あかし」という言葉から、英語の「殉教者」という言葉が出来たくらいです。

 マタイ10章33〜34節を見ても、救われた者の「あかし」の責任の思さを思わされます。                    

※けれども、だからと言って恐れる必要はないのです。

 命懸けであなたを救って下さった神様は、あなたに「自分一人の力でがんばってあかししろ」などと言ってはいないのです。いつでも守り、導き、必要を満たし、助け、共にいてみわざをなして下さるのです。(その辺は後でまた考えます)    

※責任の範囲について。

 私達の責任は、「あかし」をすることです。「人を救うこと」は私達の責任ではなく、神様の責任です。力を尽くして「あかし」をし、あとは神様に委ねることも大切です。                      

2---証言の特権・祝福。

 聖書では、神様に従って責任を果たす時必ず大きな祝福があります。「あかし」 をすること(または出来ること)はクリスチャンの大きな特権であり、また大きな祝福をもたらすことです。その最大のものは、何と言っても、私達の証言によって、他の人々がイエス様を信じ救われると いうことでしょう。そのようにして、私達は、神様の救いのみわざを見、神様の御国が前進するさまを 目の当たりに見ることが出来ます。一度でも経験するなら、これがどんなに(忘れられないほど)素晴 らしいことであるかがわかります。(私がクリスチャンになって良かった、と思う最高の時です。) 「一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使い達に喜びがわき起こるのです。」(ルカ15章10節)というその天上の喜びにあずかることが出来るのです。    

(4)「あかし」の仕方。                    

 「あかし」を考える時、1-生活を通して、と 2-言葉によって、の二つに分けて考えることが出来ます。                                 

1---生活を通して。(ヤコブ2章14〜19節、マタイ5章13〜16節)         

 「あかし」と言うとすぐ、何か語らなければならないとか、聖書から説明出来なければならないとか考えがちです。もちろんそれも大切ですが、同じく大切なことは、私達が自分の生き方を通して、神の民の生き方はこういうものだ、と見せることです。私達がいくら立派なことを言っても、私達の現実の生活が聖書の言葉に従ったものでなく、神様の祝福を受けたものでなかったら、私達は、自分で自分の「あかし」をぶち壊すことになります。「あかし」は口先だけでは駄目なのです。

 このことは、私達が一生をかけて取り組んで行くべき大切なことです。これまで学んだ、聖書・祈り・教会生活を通して、私達一人一人の生き方が変革され(これも「悔い改め」のプロセスです)、キリストに似た者とされ、私達が皆「小さなキリスト」になっていく必要があるのです。その時私達の「あかし」は祝福され、福音の前進、神の御国の前進のために真に生かされるものとなるのです。                

2---言葉によって。(ローマ10章14〜15節)                                      

ア)「あかし」のポイント

 「あかし」とは、前述の通り、イエス様が自分の人生にどんなに素晴らしいことをして下さったかを 証言することですから、聖書の教理を詳しく話したり、説教をする必要はありません。ありのままの体 験を、素直にそのまま語れば、それが聞く人にとって一番わかりやすく神様を示すことになります。

 以下のポイントに従って整理して、自分の「あかし」をいつでも3分〜5分位で話せるように用意しておくと、時に応じてそれを使うことができます。         

1、入信前。 キリストを知る前の生活はどうであったか。

2、入信。 どのようにして教会に来たか、クリスチャンに出会ったか、聖書に出会ったか、キリストに出会ったか。そして、自分の罪を認め、十字架の救いを知り、信じたか。出来るだけ具体的に、また出来れば、信仰のきっかけをなったみことばを入れる。

3、入信後。 キリストにより自分はどのように変えられたか。今の私にとってキリストとはど なたか。                        

(5)「あかし」の心得 

1---「あかし」は自分の力でするのではありません。(マタイ10章18〜20節)

 「あかし」をする力を与える のは聖霊です。(使徒1章8節)ですから、共にいて下さる神様を思いつつ、気張らずに、委ねて、安心し て、救われた感謝と喜びを忘れずに「あかし」しましょう。「あかし」も神様の主権の中にあります。                                   

2---ですから、「あかし」の働きもまた、全て祈りから始まることを覚えて下さい。

 イエス・キリストを伝 えたい方々のため、熱心に、忍耐強く、祈ることから始めて下さい。祈りの中で主が「行け」という時に行けばよいのであって、焦ったり、慌てたりするのは禁物です。         

3---「あかし」は普段の生活の中から生まれてきます。

 例えば、普段「自分はクリスチャンだ」とはっき り言っておかなければ、突然「あかし」をしても相手はビックリするだけでしょう。 逆に、普段から 何かにつけて、聖書や教会やクリスチャン仲間のことなどを話していれば、おのずと回りの人の方から 「どうしてクリスチャンになったの?」等と聞かれる時があるものです。そのチャンスを逃さぬように 心の備えと「あかし」の準備をしておきたいものです。

                     

4---「あかし」をすると、相手の反応は様々です。

 信じない人、馬鹿にする人、皮肉を言う人、無視する人 ………でもそのことで動揺する必要はありません。聖書は、「あかし」をする人が必ずそのような目に 会うことを教えています。聖書の中の人達は事実そのような目に会い、それを「喜び」として受け止め ているのです。(マタイ5章10〜12節、使徒5章41節) イエス様のために苦しみに会うなら、それは全てのことをご存知の神様に喜ばれることであり、豊かな祝福を受けることです。主イエスご自身がそのような歩みをされたのでした。(ペテロの手紙第一2章20〜24節)(但し自分の落ち度で受ける苦しみは別です)

5---「あかし」をした時、色々質問されることも多いでしょう。

 その時しったかぶりはやめましょう。(自分の考えと、聖書の教えを区別すべきです。)答える用意をすることは大切ですが(ペテロの手紙第一3章15節)、よく知らずに誤って答えることは「あかし」になりません。正直に素直に、知っていることを語り、知 らないことは「わかりませんので調べてきます」などと言った方がよいでしょう。 また興奮して議論したり、相手に対して失礼になったり押し付けがましくなったりしないように注意しましょう。

6---話し過ぎないこと。

 ある方が、「信徒伝道はいけない。聖徒伝道でなければ。」と言っていました。 これは、「語る」よりも「聞く」ことの大切さを強調した言葉です。(「信」の字は、人が言う、という字です。「聖」の字には、口もありますがもっと大きな耳があります。)

 一方的に語るのではなく、相手の語ることをよく聞き、相手のありのままを受け止め、ニーズを知ることは、有効な「あかし」をするための必要条件です。

※このことについては、豊留真澄博士(ネームレス運動提唱者)のテープ「耳の伝道」2本をどうぞお聞き下さい。               

7---しゃべるだけが「あかし」ではありません。

 「私は口下手で」という方は、カセット・テープ、ビデオ 本、トラクト、週報、新聞、集会等々、様々な「あかし」の手段を工夫することが出来ます。                               

8---福音を伝えるには犠牲が必要です。

 主はイエスはご自身の命を犠牲にされました。私達も、1枚のハガ キを出すことに、集会に誘うことに、時間を取って祈ることに、犠牲を払う時喜びがあります。「時間 があったら」「余裕が出来たら」と言っていると、一生伝道出来ません。(その上、自分が今持っているものまで取り上げられてしまう、とイエス様は言われますた。)   

9---「あかし」のために学び、訓練を受けることも有益です。

 信徒学校でも学べますし、教会外での訓練の 場も沢山あります。良い本もあります。「あかし」は実践しなければ無意味ですし、学びつつ実践する 中でよきあかし人への成長を遂げることが出来ます。             

10--「あかし」の目的は相手に福音を伝えることですが、もちろん最終目的は、相手が救われることです。

 ですから、「あかし」と共に、更に進んで相手を信仰に導くこと、教会に導くこと、色々な集会に導くことを考えておきましょう。                             

 以上「あかし」について学んできました。私達は、神の国の民として、主イエス様のことを伝えるというすばらしい特権を与えられているのですから、私達の生涯を通して、多くの人達が主イエス・キリストを見出すことが出来るように、祈り、賢く知恵を用いて、時を生かして「あかし」していきましょう。 


〔2〕奉仕について   

                                     

 私達は神様に救われて洗礼を受ける時、教会の一員となります。教会とは、神によって「呼び出された者の集まり」です。私達は、罪と死の中から神に呼び出され、救われたのです。それは何のためなのでしょうか。神様は何を願ってそうされたのでしょうか。                             

(1)奉仕とは?

 聖書によれば救いは個人的な次元にとどまらず、集団的な面を強く持っています。それを聖書は、「神の国民」「キリストを頭とする一つの体」「神の家族」「神殿」等色々な言葉で表現しています。そして神様は、その集団としての現実の教会を建て上げることを望んでおられます。

 エペソ人への手紙4章11〜16節を読んで下さい。ここに、@神の特定の賜物を受けて特定の奉仕をすることで教会に仕える人々がいることと、A全ての「聖徒」(つまりクリスチャン)が「キリストの体(つまり教会)を建て上げるため」に「奉仕の働き」をすることが教えられています。エペソ4章16節がその目標の姿です。           

 また同じエペソ2章10節には、私達が救われたのは、「良い行ないをするため」であり、「神は、私達が良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えて下さった」ことが記されています。

 つまり、私達が救われたのは、私達が神様の働きを担うためなのです。そしてそれが正しく担われる時に教会は建て上げられ、神の御国は前進するのです。これを実際に行なうのが奉仕の働きと言えます。

 「キリストの体」(教会)の各部分は私達ですから、教会を良くするのも悪くするのも私達自身の態度によります。生きている教会の特徴は、信徒である私達が生き生きと奉仕をし、一つの活動体である教会全体を「キリストによって」「結び合わされ、成長し、愛のうちに建てられる」ようにしていくことでしょう。                     

(2)奉仕について。聖書の教えや心得など。     

 ここでまず「心得」からスタートするのは、奉仕の本質を誤解して担うこと(または担わないこと)がとても不幸なことであるからです。教会はこの世のサークルや単に人間的な組織ではありませんから、奉仕についてもよくその本質を理解することをおろそかにしないように気を付けたいものです。                                    

1、クリスチャン達を「整えて奉仕の働きをさせ」る(エペソ4章12節)のはだれか。

 エペソ書では、それは「キリストご自身」であると言っています。奉仕をする時、「牧師に言われたから」「誰それに頼まれたから」で終わらずに(それで終わると、人のために奉仕した、で終わってしまいそうです)、キリストご自身がさせるのだという信仰の次元、霊的な次元を見落とさないようにしましょう。                             

2、ですから、「誰のために奉仕するのか」と言えば、それは「主のため」です。

 「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」(コロサイ3章23節) 「全てを神の栄光の ために」というのがクリスチャンの旗印です。(コリント人への手紙第一10章31節)          

3、主が全てのクリスチャンに奉仕を備えていて下さいます。

 どんなクリスチャンも、少なくとも一つの(ある方々はもっと沢山の)「賜物」を神様から頂いています。(もっと正確に言えば、預けられています)(聖書のタラントのたとえを参照して下さい。マタイ25章14〜30節、ルカ19章12〜27節)

 神様からお預かりしているこのタラントを、神様のために活用して、神様の働きを担うことが、私達 の大切な務めです。自分のタラントを見出すことから考えましょう。あなたのタラントは何でしょうか。

4、主が全ての奉仕に報いて下さいます。

 (エペソ6章8節、コロサイ3章24節、コリント人への手紙第二5章10節、黙示録20章12〜13節、伝道者12章14節コリント人への手紙第一3章10〜15節、4章5節、ガラテヤ6章7節) 奉仕は主のための奉仕ですから、人からの賞賛や注目を期待すべきではありません。主が全てに正当に報いて下さいます。逆に、人からの報いを期待しての奉仕には、主からの報いが受けられません。(マタイ6章1〜21節) むしろ隠れた奉仕こそ、主に報いられるのです。このことからまた「奉仕して一番祝福されるのは、奉仕者自身だ」とも言われるわけです。      

5、但し、主からの報いは奉仕への報酬として与えられるのではありません。私達が奉仕をするということは、当然のことをしているだけなので、報酬を主に要求出来るなどと考えたら、とんでもない高慢です。「自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私達は役に立たないしもべです。なすべきことをしただけですと言いなさい。」(ルカ17章10節)とあります。しかし、その当然のことをして いるに過ぎない私達に、主は「全て恵みとして」豊かな報いを下さるのです。(恵みのみ!)ですから報いを望まずに奉仕することも大切ですが、他方、主から受ける「恵みによる報い」のすばらしさを思うことも聖書の教えるところです。   

6、奉仕が主からのものだとすれば、そして、奉仕させているのが主だとすれば、私達は、他人の奉仕の中に主を認めるべきです。例えば、牧師の働き、役員の働きについて、それを主からのものと認めることが出来るか出来ないかは、信仰生活や教会形成に大きく影響します。「あれはあの人が自分でやりたくてやっているのだ」と受け止めるか、「主があの人をお立てになった(エペソ4章11節)のだ」と受け止めるかの違いです。 これは、あらゆる奉仕について言えることです。例えば、司会者、奏楽者、全て神様がその日の礼拝のためにお立てになっているのだ、と受け止めれば、奉仕のうまい下手をうんぬんするよりも、その奉仕者が尊い奉仕を全う出来るように祈り、協力する方向に当然進むでしょう。それが教会にとって大切なことであると思います。         

7、神様の特定の賜物のリストは、ローマ12章6〜8節、コリント人への手紙第一12章4〜11節、エペソ4章11節、等にあります。この他に、あらゆる奉仕に応じて、神様はその奉仕を果たすための賜物を備えて下さいます。奉仕は神様の力によって初めて全う出来るのです。

 では、神様が自分を召していて下さる奉仕は何か、ということになりますが、ある牧師はその発見法として、@自分で自分について誉めることが出来る点を皆列挙する。(自然に与えられている賜物の発見) A自分が持っている、自分に対する願いを書き出してみる。 B実際の体験を振り返って、何をした時に一番満足したか、心が燃えるか考える。 C色々出来る時に何を先にしようとするか考える。 D自分でなければ出来ないこと、どうしても自分がしなければいけないと思うことを列挙する。(発見法は、他にも実践的に色々提案されています。)

8、主に最善のものをささげましょう。

 他人の評価を気にしなくてもよいということは、どうでもよいということでないのはもちろんです。むしろ「主に対して」奉仕するのなら、最善の奉仕をと願うのが当然でしょう。常に自己反省、訓練、向上を求めましょう。                       

                                           9、しかししばしば「壁」にぶつかるのが奉仕でもあります。

 けれどもそのような時こそ、実は信仰の飛躍のチャンスなのです。何故なら、そのような時、私達は自分の力の足りなさ、弱さに直面するからです。神様の力によっていなかったとか、動機がおかしかったとか、色々と本来の奉仕の姿からのズレに気付かされます。そしてその時こそ聖書が、神様の力の現われる機会として教えている時なのです。(コリント人への手紙第二12章9節、マタイ19章26節)ですから、簡単にあきらめないで、主に求めて、期待して信じて進むことも大切です。   

10、今まで述べてきたことを逆に見れば、「主に召されていない奉仕をする」ということも良くないことです。特にその奉仕が重大であればあるほど、結果も重大です。例えば、召されていない人が牧師をする、主が選ばない人が役員をする、………ということになったら、主ご自身が迷惑するでしょう。ですからこの点でも、私達は常に祈り、主のみ心を伺いながら、奉仕を積極的にすべきことを思わされます。

              

(3)牧師・役員の奉仕。              

 これまでに見た聖書にあったように、キリストご自身が、教会を建て上げるために、特定の働きに召して担わせる働きがあります。それは実は色々あるのですが、私達の教会の中で今立てられているのは、牧師と役員です。両者の奉仕について、ごく基本的なことだけここにあげておきます。                                        

1---牧師は、神に召され、献身し、キリストによって教会に仕えるように立てられていると信じています。 牧師の基本的な務めは、

 1、みことばの宣教と祈り(使徒6章4節)、

 2、教会の信徒が、キリストによって整えられ、奉仕の働きをし、キリストの体なる教会を建て上げる(エペソ4章12節)ようになるように、仕えること、つまり信徒一人一人が神様のみ心に従って、生き生きと自分を生かして生きる者となるためのお手伝いをすること、

 3、そして教会が主から託された使命(例えば、宣教大命令、マタイ28章18〜20節)を果たす「主に喜ばれる教会」として歩んで行けるように牧会する、といったことにあります。

 教会は、牧師と信徒が力を合わせてキリストの体を建て上げて行くものです。互いに祈り合うこと、信頼し合うこと、問題が生じたら主の前で信仰的な解決を求めることなどは基本的なことでしょう。

 牧師には何でも相談して下さい。(牧師は自分が受けた相談の秘密を、勝手に他人に漏らすことはありません。たとえ警察の取り調べや、裁判に引き出されたとしても、牧師が職務上知った秘密を守ることは、牧師に保証された権利です。)                   

2---役員は、聖書の中では「監督」「長老」「執事」にあたるものです。教会総会において、規則に従って 選出されます。役員は牧師と共に役員会を構成し、教会全般の活動の計画・実施をはかります。この点では牧師と役員は対等な立場にあると考えます。

 役員の役割は、1-礼拝・伝道会・特別の行事等の立案とその責任、2-教会員の入会退会、3-信仰の指導、4-教会学校教育、5-教会の建物・備品の維持、6-文書の保管、7-献金の管理運用、8-教会の教理的霊的秩序の維持(これが大切)等です。重い責任ですから、信徒皆が(選びっ放しでなく)役員のために祈り、一致して、協力し、支援する必要があります。

 役員の心得として、教団の「教会員の手引き」には、1-主の任命であることと使命と責任の自覚。2-教会の模範的実行。(聖書、祈り、集会出席、献金等)3-牧師との協力。4-牧師・教会員・求道者のため配慮しとりなし、平和を作り出す人となる。等が上げられています。役員を選出するに当たっては、テモテへの手紙第一3章1〜13節や、使徒6章1節を見て、よく祈って選ぶべきです。年令・信仰歴の長さ・社会的地位等の、この世の尺度で選ばないように注意すべきです。                                

(4)教会員の奉仕。     

 これまで学んできたように、教会員は一つの体ですから、全員にそれぞれの立場で、力に応じて奉仕すべきことがあります。奉仕の場はあらゆる所にありますから、出過ぎたことではないかなどと心配せず、気の付いたことは、どんどん積極的に提案し、実行しましょう。

 「私達の教会だ」という意識を持って下さい。(もちろん「神様の教会」ですが、私達はその体の部分なのですから) 失業者がいてはおかしなことです。教会には「不要な人」「役に立たない人」は一人も存在するはずがありません。 自分は「お客様だ」と思わずに、キリストの体の部分として主体的に成長することを常に目指しましょう。「受けるよりも与える方が幸いである」(使徒20章35節)というキリストの言葉の真理を体験して頂きたいのです。     

 教会の奉仕を数え上げればきりがありませんが、一応羅列しておきます。教会の中で、目立たない奉仕を進んでやる人が沢山出てくることが、主に喜ばれる教会形成につながると思います。

 会計、会計補佐、礼拝司会、奏楽、録音、カセットテープ・ビデオテープ、週報作成、看板、お花、受付、奉仕予定表、書記・ファイル、住所録、写真撮影、写真整理、トラクト、備品管理、掃除、庭、会堂会計、駐車、台所、教会学校、図書、みことばの光の係、婦人会、壮年会、青年会、家庭集会、聖書研究会、………トラクト配布への参加、週報郵送作業への参加、伝道

会やクリスマス等特別なプログラムへの参加、家庭の開放、等々………いくらでもあります。要は、自分を主のために生かす場(いわば生きがいの場)をぜひ見つけて頂きたいのです。   



アフター・バプテスマ・クラス  復習プリント  5   

          名前 (           ) 提出    年   月   日     

第5課 あかしと奉仕について

〔1〕「あかし」について                                          

問1、私達が神様に祝福された信仰生活を送る上で、大切な五つのことは何ですか? 

                  

問2、私達は、@誰に Aどんな内容を Bいつ 「あかし」すればよいと思いますか? 

                 

問3、「あかし」の二つの面は何ですか? 

問4、「あかし」のポイントに従って、自分の「あかし」を書いてみて下さい。(原稿用紙3〜5枚)(洗礼準備・転入会準備クラスで書いて、提出された方は結構です。もちろん書き直しても可。)

                   

問5、「あかし」をする時の心得にはどんなことがありますか?

〔2〕奉仕について

問6、救われて教会に加えられた信徒に、主イエス・キリストは何を望んでおられるでしょうか?

                         

問7、奉仕について、私達が陥る可能性のある誤りには、どんなことがあると思いますか? 出来るだけ沢山あげてみて下さい。         

問8、教会員には、どんな役割がありますか?         

問9、何かわからなかったことや、ご質問がありますか?


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