第1課  私達の救いについて

 入門クラスでの聖書の学びを通して、人間について、罪について、救いについて、簡単に 学びましたが大切な基本ですので、私達の救いという観点から、もう一度整理して学んでお きたいと思います。   

[1]人間について

(1)人間は神に創造された存在

          

1、創造論                                      

 「私は誰なのか?」「私はどこから来てどこへ行くのか?」「世界と呼ばれるこのものは 何なのか?」これはある哲学者の問い掛けですが、古くから変わらぬ、人間皆が共通してぶ つかる問いでしょう。 

 人間の起源については、大きく分けると、「進化論」と「創造論」の二つの考え方があり ます。日本ではあたかも「進化論」が真理であるかのように受け止められ、教えられていま すが、しかし進化論は仮説であり、証明されたわけではありません。また進化論が持つ多く の矛盾のために、時代と共に進化論自体も変遷してきているのです。聖書は、はっきりと人 間は神に創造された存在であり、偶然の積み重ねの結果存在しているのではないと教えてい ます(創世記1章・2章)。聖書は「創造論」を教えているのです。                                   

2、神のかたちである人間                      

 神に創造された人間について聖書の教える大切な点は、人間は「神のかたち」に創造され たということです(創世記1章26〜27節、5章1節)。

 「神のかたち」とは、目に見えるいわゆる「姿形」のことではありません。聖書には、神 は霊である、と教えられています(ヨハネ4章24節)から、「神のかたち」と言っても神に も手や足があるということではないのです。「神のかたち」とは、(1)人間が霊性を持つ 人格的な存在であること、(2)世界支配をすべき存在であること、(3)道徳的責任を担 う存在であること、等を表わしています。つまり人間は、他の動物や被造物とは違った特別 な尊い存在として創造されたと聖書は教えるのです。その最も大切な点は、人間は神と霊 的・人格的に交わり、神を礼拝出来る存在だということです。(他の動物にも宗教があると か、チンパンジーも祈りをする、などとは聞いたことがありません)                                 

3、尊い使命と目的を持った人間の人生      

 神が世界を創造し、「神のかたち」である私達人間をそこに置かれたことには、当然目的 があります。創世記1章28節にその目的が教えられています。

 このみことばは「文化命令」とか「歴史形成命令」とか呼ばれていますが、単に文字通り 自然を支配するというだけでなく、神のみ心に従って文化を創造するとか、自然をふさわし く管理するとか、歴史を神の計画通りに発展形成するとか、そういう深く広い意味を持って います。私達の人生は本来そのような、神に計画された意義深い、創造的で豊かなものなの です。                    

(2)人間は皆、罪人です

       

 聖書は、私達人間は、皆、罪人であると言っています。ここで言う罪とは、一般に考えら れる犯罪や法律上の罪を言っているのではありません。(もちろん、罪人であることの結果 がそういうかたちに現われることもありますが)       

 聖書の中で罪を表わす言葉(ハマルティア)は、「的はずれ」という意味です。聖書は、 私達人間が神を離れて、本来のすがたとは異なった「的がはずれた生き方」をしていると教 えているのです。ですから人は皆「罪人」です、と言うよりも、人は皆「ずれ人」です、と 言う方が分かり易いかも知れません。  では、私達はどのように「ずれて」いるのでしょ うか。                                   

1、創造主との関係のずれ  

 私達人間は、創造主なる神によって造られ、生かされているのに、この御方を無視して、 自分中心に生活しています。全ては神から与えられたものなのに、全部もともと自分のもの であるかのように勝手に使おうとします。(命、体、時間、子供、お金、才能、自然、資 源、人間関係、等々) ここに罪とその全ての悲惨な結果の根源があるのです。                               

2、生きる目的のずれ                                      

 創造主を無視して生きていると、私達の人生の本当の目的が分からなくなるのです。今日 多くの人々は自分の人生の目的を見失っています。                

 人生の本当の目的を見失うと、私達は、「手段」と「目的」の見分けがつかなくなりやす いのです。良い幼稚園、名門小学校、有名中学校、有名高校、一流大学、一流企業、良い結 婚相手、高い地位、等々、これらはそれぞれ大切であり、それを求める努力も尊いものです が、しかしこれらはいずれも、人生の究極の目的ではないはずです。大切なのは、そのよう にして、何のために生きるのか?ということであるはずです。それを忘れると、これらを手 に入れたのに、空しくなったり、他人との比較で優越感にひたって終わるということになっ たりするのです。                  

3、生活のずれ                             

 創造主を離れ、本当の生きる目的を見失っている人間は、毎日の生活にも、ずれを起こし ています。これが私達に「心の葛藤」をもたらします。つまり、自分が正しいと思うことを することが出来ない、また悪いと思うことをやめられない、ということが起きるのです。      

ア)正しいと思うことが出来ない                

 「夫婦・親子・兄弟は愛し合うべきだ」「他人の気持ちを大切にすべきだ」「約束は守る べきだ」「人類は皆兄弟」「世界は一つ」「戦争より平和が良い」「海や山をきれいにし う」・・・皆言われなくてもわかりきったことのはずです。しかし、それが実際には出来な い、というのが現実なのです。(ヤコブ4章17節)                           

イ)悪いと思うことがやめられない           

 「盗んではいけない」「人を憎んではいけない」「人の心を傷付けてはいけない」「人に 冷たい態度を取るべきでない」・・・してはいけないことも誰でも分かっているはずではな いでしょうか。しかし社会の中からこれらのことがなくなったことは一度もないのです。                    

 人間はこの解決を、社会制度の改革や、革命や、教育の充実や、科学や、新思想等々に求 めて来ましたが、問題は解決されるどころかむしろ複雑化するばかりでした。(例えば、教 育のレベルが上がれば、犯罪はなくなるのでなく、犯罪のレベルも上がるだけなのです。人 間の罪が解決されていないからです)  

 『ちょいと一杯のつもりで飲んでぇー、いつの間にやらはしご酒ぇー、

  気がつきゃホームのベンチでゴロ寝ぇー、これじゃ体にいいわけないよ、

  わかっちゃいるけどやめられない』 という歌のあたりが人間の正体でしょう。                            

※罪に堕落した人間は、しかし、人間でなくなったのではありません。人間は、やはり「神 のかたち」です。尊い存在です。しかしそれは歪められており、的はずれになっているので す。ここに、尊いのだけれども歪んでいる、という人間の現実の二面の本質を聖書が実に正 確に教えていることが分かります。              

(3)罪の報酬は、「死」です。しかし、人間は救いの道を持っています。

                            

 聖書は、創造主から離れ、本来のあり方からずれて生きている人間の受ける報酬は「死」 である、と言っています。(ローマ6章23節「罪の受ける報酬は死です」)                                   

1、三つの死       

ア)霊的な死    

 聖書は、神を離れて生きる人間は、生きているとは名ばかりで霊的には死んでいると言っ ています。  これが私達が地上で、神の愛や、充実した意義深い人生を味わえない理由な のです。                 

イ)肉体の死  

 私達罪を持った人間は、皆必ず死ぬことと、死後に神のさばきを受けることが定まってい ると聖書は言います。私達は生きている間にした一つ一つのことについて、神の前で弁明し なければなりません。 聖なる神が、私達の罪を見過ごされることはありません。罪は一つ 残らず必ずさばかれるのです。この法廷には、ワイロもゴマスリも効きません。神の完全な 基準に従って、全て正当にさばかれるのです。     

ウ)永遠の死

 その神のさばきで有罪であるなら(私達は一人の例外もなく有罪なのですが)、私達は永 遠に罪の刑罰を受け、神と断絶したままになると聖書は言います。私達はそこ(地獄)で、 自分のしてきた罪と不信仰を悔いて永遠に苦しみ続けなければなりません。                        

2、救いの望みのある人間                                   

 人間は確かに堕落して罪人となり、しかもその自分の罪を自分では解決出来ない存在とな りましたが、救いの望みがあることを聖書は繰り返し繰り返し教えています。すなわち、罪 がゆるされ、きよくされ、新しい霊的生命(永遠の命)を持つ者とされ、神のかたちを回復 し、神のこどもとされるのです。   

 これは自分の力によるのではなく、救い主イエス・キリストを信じる信仰により、聖霊に よって新しく生まれることによってのみ与えられるのです。

[2]十字架の救いについて

                                  

(1)イエス・キリストの十字架の意味

                             

1、私達の罪とその刑罰を身代りに負われた(ペテロの手紙第一2章22〜25節)        

 イエス様の十字架は、私達の罪のためだったのです。これはクリスチャンが決して忘れて はならない根本的な大切な事実です。                                  神様が、私達のために開かれた救いの道とは、ご自分の御子イエス・キ リストをこの世に送り、私達と全く同じ人間の姿をとらせ、私達の罪を全てその身に負わせ て十字架につけ、殺すということでした。 

 本当は、私達があの十字架にかかるべきであったにもかかわらず、イエス様が私達の身代 りになって下さいました。                                  

2、ここに神の愛が私達に示された(ローマ5章8節、ヨハネ3章16節)             

 イエス様の十字架は、神様の恐ろしい裁きを表わしているのと同時に、神様の桁外れの愛 を表わすものでもあります。イエス様の十字架を思う時に、私達は、神を無視して勝手なこ とを言いながら生きている罪人さえも、なおも愛して下さる神様の愛を知ることが出来るの です。      また、それほどまでに私達を愛していて下さるお方が、いつも私達と共 にいて下さるのだと聖書は私達に語っているのです。(ローマ8章32節)                     

3、神との和解が成立し、唯一の救いの道が開かれた(ローマ5章10〜11節、使徒4章12 節) 

 十字架は、私達と神様を和解させるためのものでもあります。創造主であるまことの神様 に従わないで生きている時、私達は神様の敵でした(意識的にせよ、無意識にせよ)。

 しかし、イエス様の十字架のゆえに、イエス様を信じる者は、神様との和解を得て、神様 の子供とされるのです。          

 これは私達と神様との和解をもたらす唯一の道であると聖書は教えています。もし、私達 が、自分の代わりにイエス様が十字架について下さったということを素直に認めて、イエス 様を自分の救い主として信じるなら、私達は救われます。イエス様が自分の代わりに十字架 にかかって下さったということに感謝して、「ありがとうございます」と言って、その事実 を受け入れ、信じ委ねる時に救われるのです。何もしないで救われるなどとは、虫のいい話 だと言う人が時々いますが、私達がそのようにただ信じるだけで救われるために、神様が どんな犠牲を払われたかをよく考えましょう。                                          

(2)イエス・キリストを信じる時起きる出来事

    

1、あなたの全ての罪(過去・現在・未来の全ての罪)がゆるされました。(コロサイ1章 14節)      

 あなたは神のみ前で義(正しい)と認められました。(ローマ3章24節)           あなたはやがて神の裁きを受ける時、有罪とされることがありません。(ヨハネ3章 18節)

2、今すでに、罪と死の原理から開放されています。(ローマ8章1〜2節)

3、困難・苦しみ・迫害・罪等々に打ち勝つ力が与えられる。(ヨハネの手紙第一5章5 節、 ローマ8章37節)

 クリスチャンになったからといって、嫌なことや辛いこと、悲しいことに出会わなくなる のではありません。これらのことは、私達の人生が続く限りあるでしょう。しかし、そのよ うな中で、クリスチャンはへこたれることなく、次第に困難を克服して、勝利の人生を生き ることが出来るのです。

      

4、神様(聖霊)があなたの心に入って、いつも一緒にいて下さいます。(コリント人への 手紙第一6章19節、ガラテヤ4章6節)

                     

5、あなたに永遠の命が与えられました。(ヨハネ5章24節)
                 ですから、私達は、死の恐怖から開放されて、天の御国に行く確かな希望を持って生 きることが出来ます。(ピリピ3章20節)

         

6、あなたは神の子どもとされました。(ヨハネ1章12節)

7、天の神様が私達の祈りに答えて下さる。(ヨハネ15章7節)

 私達は神様の子供ですから、何でも遠慮せずに、神様に求めることが出来るのです。そし て神様も喜んで私達の祈りに答えて下さるのです。(ただし、何でも祈った通りになる、と いうことではありません。何でも聞いて下さって、いつも最善のことをなして下さるという ことです。)                          

8、神様のご計画に従った、本来の意義深い人生を生きる者となる。

 私達は創造主のご計画を見失った的はずれの人生を生きていましたが、イエス様に導かれ て生きる人生はその本来の姿に回復されるのです。                                         

9、回りの人々に神様の祝福を取り次ぐ者となる。(創世記12章2〜3節とガラテヤ3章 29節、使徒16章31節)

 救いの祝福は、あなた一人では終りません。それは伝えられ、広がって行く力を持ったも のなのです。 あなたが神様に信仰をもって従うことで、あなたの家族・職場・地域等々が 恵まれるのです。            

(3)私達がなすべき決心を確かめましょう

                                  

1、「信じます」という、決心の祈り。(ローマ10章9〜10節)               

2、悔い改め。

 過去の罪を具体的に神様に申し上げて、赦しを受ける。またその後も、自分の犯した罪に 気付いたらすぐに具体的に悔い改めましょう。また、迷惑をかけた人に謝ることも(可能な らば)必要です。       

3、信じる。                                       自分が救われたことをいつも確信していましょう。また、イエス様に従うことを願い ましょう。   

※決心の祈りの例                                        

『天の父なる神様。私は、罪人です。

今まであなたに背を向けて、自分勝手に生きてきましたことを赦して下さい。

私は、今、そんな私の罪を身代りに負って、十字架にかかり、そして三日目に復活して下 さったイエス様を、私の救い主、また人生の主として、心にお迎え致します。

どうぞ私の全ての罪を赦して下さい。

また、私を罪から解放して、イエス様にある新しい人生を私の生活の中に実現して下さい。

イエス様の救いを感謝致します。このお祈りを、救い主イエス・キリストのお名前によって お祈り致します。アーメン。』                                         

※具体的な悔い改め方の例                              1、一人で、祈り、『私の罪を示して下さい』と神様に願う。            2、祈りつつ、心に浮かぶ自分の過去・現在の罪を、全て紙に書く。       3、それを一つ一つ神様に悔い改める。

 ヨハネの手紙第一1章9節によれば、それは全て赦されるのだから、悔い改めたら、『こ の罪を赦して下さって感謝します』と祈りながら赤鉛筆で消す。

4、もう一つも悔い改めていない罪が思い浮かばなくなるまで行なう。          5、自分と神様の間を隔てる罪が一つも無いこと、全て赦されたこと、自分が神様に受 け入れられていること、もはや罪に支配されないこと、永遠の命を与えられたこと、等々、 神様に感謝する。    

[3]救いの確信

                                    

 以上、私達がどのようにして救われたかということを、簡単に復習してきました、では、 その救いが確かであるということをどのようにして確信出来るのでしょうか?               

(1)神様が、私達を救いに選んで下さった。(ヨハネ15章16節、エペソ1章4節)

          

1、聖書は、私達が救われたのは、神様が私達を救うようにご計画され、救いに導いて下 さったからだと教えています。つまり神様が私達を救いに選んで下さったからだというのです。 もちろん私達は、自分の意志で、教会に集い、聖書を読み、イエス様を信じる決心をしまし た。しかし、実はその背後で神様が私達を救いに導くために、着々と準備を進め、働きを進 めていて下さったのだというのです。                                             

2、私達がこのように救いに選ばれたのは、私達が特別に優れた人間であったからではあり ません。むしろ「この人でも救われたのなら、私でも救われる!」と人々に希望を持たせる ためなのです。(テモテへの手紙第一1章15〜16節)                                

(2)私達を救いに導いて下さったお方は真実なお方。(テモテへの手紙第二2章13節)

    

                                             神様は真実なお方ですから、一度救って下さったのに、急にまた気が変わって救いを 取り消したりするようなお方ではありません。私達のような、簡単に気が変わったり諦めた りするような者とは違います。もしそうでなかったら、私達の救いは、毎日の天気の変化の ように、「今日は救われている」「今日は救われていない」「今日は、午前中救い、のち午 後から滅びに下り坂」

といった具合になってしまうでしょう。神様は、一度キリストの救いに入れた者を、最後ま で、忍耐をもって、導いて下さる真実な方なのです。(ヨハネ5章24節、6章39節)                    

(3)神様のみことばが、私達の救いのよりどころ。

       

                                            1、私達を救って下さったのは、ご自分の約束を必ず守って下さる真実な神様です。で すから、私達は、自分が確かに救われていることを神様のみことばにある救いの約束によっ て知ることが出来ます。                                

2、もし私達が、自分の感情や気分によって、救われていることを確かめようとするなら、 私達の感情や気分は、毎日時事刻々変化しますから、ある日には救われていると喜び、他の 日には本当に救われているのだろうかと疑ってみたり、ということになります。感情とか気 分というような変化しやすい、いい加減なものの中に、救いの確信を求めてはいけません。 私達は、とこしえに変わることのない、神様のみことばに自分の救いの確信を求めるべきで す。(ペテロの手紙第一1章23〜25節)                                        

3、私達は、聖書の中に沢山散らばっている、救いについての神様の約束のみことばから、 一つ(またはいくつか)を選んで、それを自分の救いの確信のみことばとしましょう。そし てそれを暗記して、どんな時にも、その約束のみことばによって、自分の救いを確信出来る ようにしましょう。

 例えば:マタイ11章28節、ヨハネ3章16節、5章24節、6章39〜40節、8章32節、ロー マ5章8節、コリント人への手紙第二5章17節、エペソ2章8〜9節、使徒16章31節、ヨ ハネの手紙第一4章10節、黙示録3章20節、等々 



アフター・バプテスマ・クラス 復習プリント 1  

                                              名前 (            ) 提出    年   月    日    

第1課 私達の救いについて                                       

[1]人間について                                            

問1、人間と他の被造物との本質的な違いは何ですか?                      

                               

問2、あなたは、自分が罪人であると認めますか? 認めるとすれば、なぜですか? ま た、認めないとすれば、なぜですか?                       

問3、人間の人生の本来の目的は何ですか?                        

問4、私達の人生はどのように、本来の姿から「ずれて」いますか?                              

問5、人間の罪の根源は何ですか?                                              

問6、人間の罪の結果は何ですか?                                              

問7、何かわからなかったことや、ご質問がありますか?                  

     

[2]十字架の救いについて     

問1、イエス・キリストの十字架は、どんな意味を持っていますか?                                    

問2、イエス・キリストを救い主と信じる時、私達の人生にどんなことが起こりますか?    

              

問3、あなたは、イエス様を自分の救い主と信じる決心をしましたか? それはいつでした か?                          

問4、あなたは、過去の自分の具体的な罪を、すっかり神様から赦して頂くための悔い改め の作業をしましたか? それをどのようにしましたか? 

                                            

問5、あなたにとって、イエス・キリストとはどなたですか?                                            

問6、何かわからなかったことや、ご質問がありますか?                  

                   

[3]救いの確信                  

問1、あなたが救われているとどうして断言出来ますか? 

                                                

問2、あなたが救われたのは、何故ですか? また何のためですか?                                             

問3、神様は、一度救いに選んだ者を捨てられることがありますか? 何故そうわかります か?                                 

問4、あなたの救いの確信のみことばは何ですか? ここに書き出して下さい。                                            

問5、何かわからなかったことや、ご質問がありますか?


信仰生活の基本(全10課)へ
Go to IMC HOME PAGE