3、イエス・キリストは救い主です。

(1)神様の側から私達の所に来て下さった、イエス・キリスト。

 人間の側から届くことができないその神様の側から、来て下さったのがイエス・キリストです。

 このイエス・キリストだけが神への道なのです。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを 通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14章6節)

(2)神様と人間との間を隔てる邪魔物を、十字架によって処分して下さいました。

 キリストは私たちの罪を負って、私達の身代わりとして、十字架に死なれました。

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」ペテロの手紙第一2章24節

 それは、神がどんなに私達を愛して、救おうとしておられるかを、まざまざと見せたできごとでした。

「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んで くださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにして おられます。」(ローマ人への手紙5章8節)

 イエス・キリストが人間の罪を解決して下さるお方です。あなたも、イエス・キリストによって、罪からの解放・神様の愛を頂くことができるのです。

(3)十字架の死と、罪と死の力を打ち破る復活によって、私達に救いの道が開けたのです。

 キリストは、復活されました。そのことによって、人間を縛る罪と死を、イエス・キリストが打ち破ったことが明らかにされたのです。

「 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、・・・」(コリント人への手紙第一15章1〜4節)

 この十字架と復活のみわざが、キリスト教の中心です。このみわざの事実に、私達の救い・罪の赦し・真理に基づく生き方・神様と共に生きる人生・永遠の命・…全ての根拠が置かれているのです。

 十字架について、よくよく考えることが、とても大切です。


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